IS系ドクマジュラルとは何者か―アンカラテロ犯の疑い
2015年10月12日付 Hurriyet 紙


アンカラでの二人の自爆犯がおこなったとされる攻撃に関しイスラム国(関与の)疑いが浮上し、劇的な展開があった。自爆犯の身元の確認のため、イスラム国のメンバーで自爆攻撃実行犯として捜査されている16人について、その親族のDNAサンプルを採取したことが明らかとなった。同サンプルは、身元が確認されていない12人の(DNA)サンプルとも照合される。警察は、アンカラの攻撃の実行犯として、アドゥヤマンで組織されているイスラム国メンバーへ向けた捜査で、(シリア領)テル・アビヤドで活動している「ドクマジュラル」という名のグループに着目した。アンカラでの自爆犯の一人とあるといわれている、スルチュでの自爆犯シェイヒ・アブドルラフマン・アラギョズの兄ユヌス・アラギョズもアドゥヤマンの「ドクマジュラル」グループに入っていた。

■自爆者一人をカメラが捉えた

攻撃の詳細に関する重要な情報が浮上した。実行犯は事件前、警備体制が十分でないということから、最も適した場所として駅前を選んだという。実行犯が事件現場にどのように到達したか確認するため、街のすべての交通監視用カメラ(MOBESE)と監視カメラ(の映像記録)を調査されている。自爆犯のうち一人の映像はカメラに鮮明に映っているが、一方、二回目の爆発現場については樹木により良い映像が撮れていないことが明らかとなった。

自爆攻撃で亡くなった人のうち12人の身元が11日の夜時点で不明だ。初動捜査で、自爆犯が使った機械装置、爆弾、爆発物は、スルチュで34人が亡くなった自爆攻撃と同じものであることが明らかとなった。流血のテロ攻撃である二つの自爆攻撃は、鉄の小球により強化された、10キロのTNT火薬の爆発であったことがわかった。これらの詳細(がわかった)後、スルチュでの攻撃(の詳細)を明らかにした犯罪・テロ・インテリジェンス対策チームは、アンカラでの事件でも捜査権限を与えられた。アンカラの攻撃もイスラム国に属する襲撃者によっておこなわれた可能性が高い。自爆犯の身元を特定するために、イスラム国に参加し、自爆犯として捜査された16人の親族からDNAサンプルを採取したことがわかった。DNAサンプルは、身元が特定されていない12人の遺体とも比較される予定だ。初期調査で、加害者の一人がスルチュでの自爆攻撃をおこなったシェイヒ・アブドルラフマン・アラギョズの兄であるユヌス・アラギョズである可能性が高いことがわかった。

■捜索中

アラギョズの親族から以前に採取したDNAサンプルは、アンカラでの爆発でみつかった遺体の一部から採取されたものと比較される予定だ。

スルチュで34人が亡くなる結果をもたらした自爆攻撃の後、アラギョズと兄のユヌス・エムレ・アラギョズはシリアで爆弾の(使用)訓練を受け、その後、違法なルートでトルコへ入ったことがわかった。

アラギョズの親族の申し立てを受けて、2人のきょうだいもともに警察で「テロ指向性を持つ失踪者」として記録があった。シェイヒ・アブドルラフマン・アラギョズが自爆した後、兄のユヌス・エムレ・アラギョズも自爆行動の準備をしていたとの情報が入手され、81の県警察本部は警告を受けていた。アドゥヤマンのイスラム国関連組織に関する警察の調査で、自爆する可能性のある16人の名簿を用意し、写真とともに各警察本部へ送られていた。イスラム国と関係する自爆犯の名簿に載ったムスタファ・チェヴィク、ハジュ・ユスフ・クズルバイ、カスム・デレ、マフムト・ガーズィ・デュンダル、メフメト・ムスタファ・チェヴィキ、オマル・デニズ・デュンダル、ヤクプ・アクツルム、メフメト・イシク、メフメト・タシャル、ムハメト・ザナ・アルカン、エルサル・オジャク、マフムト・ガジィ・タタル、レジェプ・ヤマン、メメト・イシュバルとサリハ・キュチュクタシュの親族からDNAサ ンプルを採取したという。

■監査

この間、攻撃に関係するインテリジェンスを得て、市全体で内一人が女性である二人の自爆犯の写真付きの情報を載せた警告書を出したのにもかかわらず、攻撃がなぜ防止できなかったか調査している。首相府調整センターは11日の会見で、(同調査に対し)行政主席監査官2名と警察監査官2名を任命したと語った。

■ドクマジュルとは何者か

警察は、アンカラの攻撃の実行犯として、アドゥヤマンで組織されているイスラム国メンバーに向けた捜査で、(シリア領)テル・アビヤドで活動している「ドクマジュラル」という名のグループに注目した。アンカラでの自爆攻撃犯の一人である可能性のある、スルチュ自爆攻撃犯シェイヒ・アブドルラフマン・アラギョズの兄であるユヌス・エムレ・アラギョズもアドゥヤマンの「ドクマジュラル」グループに参加している。このグループは2013年にアドゥヤマンのはずれの地区で組織化が始まり、シリアで戦争しているイスラム国のために人を集め始めた。同グループは後に、街の中心部での活動を活発化させた。ユヌス・エムレ・アラギョズは2013年に家族にアール・イブラヒム・チェチェン大学に合格したと語り、サウジアラビアとシリアへ行った。彼は2014年にアドゥヤマンに戻り、「イスラム・チャイ店」を開店し、弟のシェイヒ・アブドルラフマン・アラギョズと経営した。2014年のディヤルバクル爆弾攻撃実行犯のオルハン・ギョンデルもここに通い始めた。子どもがイスラム国に参加したと語る家族の苦情があり、イスラム・チャイ店は二度警察の強制捜査を受け、その後閉店した。その後もユヌス・エムレ・アラギョズとスルチュ自爆犯の弟シェイヒ・アブドルラフマン・アラギョズはイスラム国へ参加するためにシリアへ行った。この両名について、アドゥヤマン警察本部から、「テロ指向性を持つ失踪者」として捜査が開始された。ディヤルバクル爆弾攻撃後にアドゥヤマン警察本部は自爆攻撃する可能性のある16人の名簿を作成した。

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( 翻訳者:岸田圭司 )
( 記事ID:38900 )