Murat Yetkinコラム:エルドアンは権力の喪失を受け入れることができるか
2015年10月26日付 Radikal 紙

11月1日の選挙の中心的問題は、公正発展党(AKP)が6月7日に喪失した権力を手にするか否かということ以上に、エルドアン大統領が権力を喪失したことを受け入れることができるかどうかということだ。

6月7日の選挙の基本問題は、人民の民主主義党(HDP)が司法過程を経ずに得票率10パーセントを超えるか否かであった。

(得票率は)超えた。この点に大きく寄与したのは、セラハッティン・デミルタシュHDP党首が立ち上がり、タイイップ・エルドアン大統領に対し、「われわれはあなたを元首にしない」と公然と語ったことだ。

こうして単に左翼、世俗主義者、あるいは、民族主義者のクルド系有権者のみならず、左翼、自由主義者、さらに一部社会民主主義者の有権者も足を運んでHDPへ投票した。(得票率)13パーセントはこうして実現した。

11月1日の「再」選挙の根本的問題は、もはやHDPが選挙の足切り値を超える超えないかではない。

もちろん、基本は投票日判明することが、あらゆる有権者調査はHDPの得票率が10パーセントを超えることを示している。

エルドアン大統領とアフメト・ダウトオール首相はHDPを非難したが、おそらくそれは逆効果だった。PKKの諸活動をテロ行為と認識し拒絶する人たちを含む、6月7日にHDPへ投票した有権者の大半が、11月1日では投票先を変更しないと考えられている。

11月1日選挙の問題は、AKPが再び議会の多数派となって単独政権を成立させうるか否かである。

11月1日(選挙)でも6月7日と同様に4党が議会を成すというのは、もはやAKP本部も高い可能性のあるものとして認めている。

現在、ベシュテペ(大統領官邸)のエルドアン大統領、ソウトズ(首相官邸)のダウトオール首相両者が尽力しているのは、この4政党から構成される議会から単独政権を作り出すことだ。

これは困難な見通しだが、不可能ではない。少なくとも机上では。

これには単に6月7日に得票率41パーセントを下回ったAKPが43-44パーセントの水準に引き上げるのではなく、同時にいくつかの選挙区で政治的均衡を有利にする変えることが必要なのだ。

AKP選対は6月7日に数百票、あるいは数千票(の差)により議席を失った県から代表者が出るよう動いている。

もちろん、彼らが動いている中、共和人民党(CHP)、民族主義者行動党(MHP)、HDPは手をこまねいているのではない。全政党はまず現勢力を維持し、そして上乗せするため闘っている。

26日付のヒュリエット紙でヌライ・ババジャン、ウムト・エルデム、リファト・バシャランの共同作業は、39県がいかにこの4党間の集票活動のためあたかも戦場のようになっているかを示した。

AKPが6月7日に喪失したものを手にすることが、エルドアン大統領が国政選挙を再び実施した目的であった。こうすることで、憲法を修正して実現できないことが明確な体制変換を、党が大統領に反対しないと仮定して、実際に実現でき、権力の行使を継続できるはずである。

AKPは単独で政府を構成できる多数派を得た場合、エルドアン大統領はこの目的に到達する。

彼は多数派とならなかった場合でも、単独で政府を構成するために、政治の舞台裏で語られる「灰色のシナリオ」を昨日26日に皆さんに伝えた。

なぜなら、エルドアン大統領の[構想する]連立政権では、特にCHPとの連立を望んでいない。こうした権力が、AKP単独政権のように、行使できないことを知っているからである。

エルドアン大統領は権力の喪失を望んでいない。

選挙の結果にかかわらず、AKPが単独政権の体裁を整えるか、あるいは再選挙に持ち込もうとするかもしれない。

したがって、11月1日の選挙の中心的問題は、公正発展党(AKP)が6月7日に喪失した権力を手に入れるか否かということ以上に、エルドアン大統領が力を喪失したことを受け入れるか否かである

この問いに対する答えは、実際トルコの民主主義の質にも密接に関連している。

民主主義というものを、自分たちに権力を与える道具ではなく、自分たちから権力を取り、まさに一時、自分たちに与えたような他者にも与え、あるいは、双方が共有する手段として確認する必要がある。

国民の意志の尊重を、投票時のみならず、常時示す必要がある。

そうでなければ、その体制を世俗主義的、民主的、法治国家と呼ぶ可能性は徐々に困難となり、その体制は、もはや別の体制に変じ、劣化が始まるのである。

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( 翻訳者:岸田圭司 )
( 記事ID:38991 )