13人の犠牲者がHDPに打撃を与えた
2015年11月04日付 Hurriyet 紙


AKPは6月7日に赤色(CHPが優勢な)の二県を含む地中海地域を全て自身の色であるオレンジ色に塗った。メルスィンをCHPから、デヴレト・バフチェリ氏が第一候補になったオスマニイェをMHPがら奪い返した。開票開始直後、オスマニイェではMHP党員達でさえ結果が信じられなかった。HDPは地中海地方での多くの票を失った。落選した3人の現職国会議員の1人はアダナからであった。HDPはアダナで1人の議員が残った。HDPの後退はアダナで7月20日~9 月30日の間に13人の兵士や警官が殉職したことが影響している。アンタルヤでも、放火、略奪事件が起きた後、HDPは議席を一つ失った。AKPの躍進においては 村落部での働きの影響が大きい。カラマン出身のルトフィ・エルヴァン元大臣はメルスィンでシャルヴァル(ゆったりとしたズボン)をはいて帽子をかぶりこの地域でAKPを第一党に押し上げた。MHPに関してつくられた「NOマン」のイメージは地域での後退と4つの議席を失う結果となった。

11月1日の選挙においてアダナで勝利したのはAKPであった。6月7日の選挙では2人の国会議員を出したHDPはここから1議席をAKPに奪われた。AKPは6人、CHPは4人、MHPは3人が当選した。AKPの勝利には2つの重要な要素が影響した。この一つは三期の原則(三期連続で議員を務めたら、次の選挙には立候補できないというもの)のために前回擁立されなかった、元文化観光相であり、党のスポークスマンであるオメル・チェリッキ氏であった。チェリッキ氏は第一位候補に擁立されると、県の行政機関を含む諸組織は、活発に動き出した。6月7日の選挙でAKPの第一位候補に選ばれた党の有力者の一人、ネジュデト・ユニュヴァル氏は、今回の選挙で第二位候補とされたことに対し理解を示し、幅広い対話を可能とする空気を生み出した。

■村落部での活動

6月7日の選挙とは違う9人の候補者を擁立したAKPでは第六位候補から当選したタメル・ダウル氏はCHPが無視した村落部での票の獲得において影響した。MHPが失った得票率3.5%、HDPの失った得票率3%と幸福党からの1%はAKPの得票率の7ポイント増加につながった。新しいスタジアム、病院などへの複合投資の加速化と、地下鉄の借金を国家が受け持つ期待もアダナ住民がAKPに与えた信用として考えられる。

■“預け票”も戻ったが…

6人の候補者を変更し、HDPへ奪われた預け票を取り返したにもかかわらずCHPの議席は増えなかった。この理由として村落部に十分な重要性を置かなかったこと、2人の政党割当枠の候補者が、期待されていたほど興奮を生まなかったためであることが挙げられている。広域市市長とともに15の郡のうちの8郡掌握していたMHPは3人の 国会議員を守ったが、得票率の23%から19.59%への低下を防ぐことができなかった。
HDPでメラル・ダヌシュ・ベシュタシュ氏が国会議員になる一方で今回は第二候補に後退した社会主義者のルドヴァン・トゥルハンが選ばれなかった。AKPの票の上昇と HDPの後退はアダナで7月20日~9月30日の間に10人の警察官、3人の兵士の計13人が殉職したことが重要な影響を持ったと言われている。

■略奪の影響はHDPへ

アンタルヤでAKPの国会議員数は5人から7人に増加した。CHPが5人の国会議員を守った一方MHPは1人の国会議員を失い当選者は2人になった。HDPはこの県での議席を失った。アンタルヤでの完全な勝者は5か月で10万票以上の増加を見せたAKPである。選挙キャンペーンでメンデレス・トゥネル広域市長と第一位候補者のメヴルト・チャヴシュオール元外相が一緒に行った「地方化」作戦は成功した。メンドレス・トゥネル氏とメヴルト・チャヴシュオール氏の原動力に、MHPから流れた票を加え、AKPの1人以上の国会議員選出の目論見は、2議席を獲得したことで実現した。CHPはデニズ・バイカル氏の故郷であるアンタルヤで票を3万6千 票増加させることができた。CHPは候補者リストを変更せずに選挙に臨んだことによってこの結果がもたらされたと評価されている。アンタルヤでは常にトルコの平均より5パーセント以上の得票率を得ることに成功していたMHPは、この選挙で票を失った。MHPは市長を輩出しているアランヤ、ケメル、コルクテリ郡で存在感を見せつけられなかった。HDPは6月7日に得た1議席を失った。選挙期間に様々な放火、略奪事件が起こったアランヤとマナヴガットではHDPの票が減る一方でAKPの票は増加した。

■AKPとCHPは上昇

ウスパルタでは4つの議席のうち2議席をAKP、1議席をCHP、1議席をMHPが得た。国家議員の配分は変わらなかったものの多くの票を失ったMHPは 県で三位になった。この県で6月7日の選挙に比べて一番の変化は、第一党となったAKPの票の上昇であった。CHPは少量の票を失いはしたものの、二位の党に上昇した。
AKPの候補者リストで注目を集めた人物は、第一候補者に指名され、4度目の当選を目指し候補者となったスュレイヤ・サディ・ビリンチ氏であった。ウスパルタを非常によく知り、組織に精通するビルギチ氏は選挙期間に叩かなかったドアはなかった。AKPの票を11万4千から13万9千へ増加させた。
MHPが6月7日に得た7万票は今回の選挙で5万3千票に減少した。MHPが失った票はAKPに流れた。CHPは5万7千票から5万6千票に減少した。野党が票を失った原因は、候補者ではなく、連立政権を組めなかったことにある。特にデヴレト・バフチェリ党首に対する「NOマン」の認識はMHPにおいて、トルコ全体の結果と同様に、ウスパルタでの劇的な後退という結果をもたらした。

■カラマン・ヨルウはメルスィンで一番に

メルスィンでAKPが四人、CHPが2人、MHPが2人、HDPが1人の国会議員を出した。
AKPは11月1日の選挙でメルスィンで第一党の称号をCHPから得た。また、6月7日に失った議席を取り戻した。MHPとHDPが各一つずつ議席を失ったのは驚きであった。第一候補者となった「落下傘候補」であるルトフィ・エルヴァン元カラマンル市長が、AKPのこの勝利において最も大きい要因となった。「遊牧民の子供」エルヴァンが空港、高速鉄道、8車線道路、観光プロジェクトを公約として票を獲得した。十分な国の投資を受けていないメルスィンは「投資への要求」をこの選挙の結果によって明らかにした。勝利の他の要因としては中小事業者から好かれるタントゥニ屋のハジュ・オズカンが第四位候補者になったことが挙げられる。

■一部の投票箱はもう一度数えなおされる。

CHPもAKPのように票と国会議員数を増やした。しかし獲得した最後の議席に関してHDPが「98の票差で負けた」という異議によって一部の投票箱はもう一度数えなおされる。政党割当枠選択の問題は今回の選挙では棚上げし、プレ選挙の結果に基づくリストを明らかにしたCHPにおいては、市長候補に擁立されなかったセルダル・クユジュオール氏が今回第四位候補から当選した。広域市を掌握しているMHPの票は3ポイント後退した。1人の国会議員を失った。この党の首長らによって行われた投資や事業は、「ドラマティック」と評される後退を防ぐことができなかった。デヴレト・バフチェリ党首が連立政権不成立の原因とされたことと、自治体の誤った政策が後退の理由となった。
HDPは南東部外の「票田の一部」であるメルスィンでCHP支持者から一時的に流れた票がCHPに戻ったことによって国会議員を一人失った。また、元AKPデンギル・ミル・メフメト・フラト氏のみを国会へ送ることができた。

■MHPから代表者

MHPはカフラマンマラシュで6月7日の選挙でCHPから議席を一つ奪うというサプライズを行い国会議員を2人に増やした。しかし11月1日の選挙 ではMHPはこの国会議員枠をAKPに奪われた。AKPは6人であった国会議員数を7人に増やした。このようにしてタイイプ・エルドアン大統領の兵役友達で ある退職したムフティーのウムラン・クルチ氏は国会に入ることができた。AKPが前回の選挙と比べ、得票数と国会議員数を増加させたことにおいて、候補者名簿での変化も影響した。AKPの第四位候補者となったジェラレッティン・ギュベンチ元シャンルウルファ広域市長が票の増加に重要な役割を担ったと評価されている。6月7日の選挙での村落部でのHDPへの、また少量ではあるもののMHPへ流れたCHPの票は第一位候補者アリ・オズトゥンチ元RTUK委員の影響によってもう一度CHPへ流れた。しかしカフラマンマラシュで議席を獲得できるほどの得票率には達しなかった。MHPは票と1議席を失った。 1議席獲得に甘んじた。

■地元民でさえ結果に困惑

MHPはデヴレト・バフチェリ党首が立候補した彼の故郷オスマニイェで第一党をAKPが奪った。オスマニイェで開かれた最初の投票箱はMHPでの後退の予兆の様であったバフチェリのこの大きな敗北に最も影響を及ぼしたのは、「連立政権に反対するのは私たちではなくAKP」という発言が同郷人たちに受け入れられなかったことであった。県の4議席を以前のようにAKPとMHPが共有した。
6月の選挙の後に増えたテロ事件で、オスマニイェは最も多くの殉職者を出した県の筆頭となる一方、全ての殉職者の葬式でオスマニイェ市民の同郷人であるデヴレト・バフチェリ氏の姿が見られなかったことも党の後退の大きな原因となったと考えられる。AKP勝利の最も大きな理由の一つは、青年支部から県支部に至るまで、全体が歩調を合わせて選挙活動に取り組んだことにある。CHPもオスマニイェで少しではあるものの票を伸ばした。しかし国会議員を出すまでには至らなかった。6月7日に3.89%の票を獲得して注目を受けたHDPもこの選挙では後退した。

■シリア人とロケットにもかかわらず

ハタイでは6月7日に明らかになった国会議員の割合は11月1日の選挙でも変化しなかった。AKPは5人、CHPは4人、MHPは1人の国会議員枠を得た。シリア政策が最も影響したハタイでは生鮮食品の野菜・果物の輸出が止まり経済が停滞する一方で、爆弾が落ち、一部の郡でシリア人の数がトルコ人の数を上 回った。そんな中、票はAKPの「安定」の公約に流れた。AKPはサドゥッラ・エルギン氏なしのリストによってCHPに7万もの差をつけた。しかし5千票差によって6つめの議席を失った。AKPの勝利にはレイハンル郡の候補であるヒュセイン・シャンベルディ氏が候補者リストに入ったことが影響した。この選挙で全ての注目はCHPへ向けられた。6月7日にCHPから候補者に指名されないと、怒って無所属候補となり、得た1万8千票とともに元の党から議席を奪ったレフィク・エイユルマズ氏は、この選挙で党に戻ったがCHPの国会議員の数はまた4人であった。
MHPはハタイからまた一人の国会議員を出すもののデヴレト・バフチェリ氏の「NOマン」イメージのために票の低下を妨ぐことはできなかった。
ハタイはHDPが議席こそ得られなかったものの、トルコで票を増やした唯一の県となった。

■16年ののちに勝利するも5か月で失う

ブルドゥルでAKPとCHPとMHPは議席を一つずつ分け合っていた。しかしこの配分は11月1日の選挙で変化した。1999年から今日まででブルドゥ ルでは初めて6月7日に国会議員を出したMHPは、トルコ全体での結果と同様に、この県でも多くの票を失いその議席を奪われた。
AKPは6月7日の選挙で三期の原則によって立候補しなかったバイラム・オズチェリッキ氏がこの選挙で候補者に指名されたことがAKPの国会議員を増やすことにおいて効果を生んだ。エルドアン大統領に近いことで知られる法学者のレシェット・ペテック氏が6月7日の選挙においてこの県の候補者に指名されることで生じた党内の不満は、彼が第二位候補とされることで取り除かれた。6月7日に比べて3%の票を失ったCHPは1人の国会議員枠を守った。CHPは最も強いイェシルオヴァでの第一党を守り中心と他の郡で後退した。

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( 翻訳者:竹田史佳 )
( 記事ID:39105 )