ギュル元大統領から「さよなら」の電話
2015年11月10日付 Radikal 紙


ギュル氏からの祝福の電話はダヴトオール首相及び関係者らを安堵させる一方で、今後の政治をギュル氏に託す者たちの希望をまた別の春まで先延ばす要因となった。

6月7日から11月1日まで公正発展党(AKP)内部及び外部の政治関係者の中でどう動くか最も関心を集めていた人物はアブドゥッラー・ギュル第11代大統領であった。単独政権が失われた後、AKP新執行部との不和を経験した、大半が第3期のAKP議員らはギュル氏の元へ通いつめるようになった。AKPとの関係が希薄化していた同党議員らのギュル氏に対するこの関心は、とりわけ9月12日の党大会でピークに達した。タイイプ・エルドアン大統領が党執行部に明確に強い影響力を与えている事が明らかとなった同党大会後にギュル氏は11月1日の選挙後を予測しつつ模索するAKP議員らとの関係を強めた。

■ 5政党

ギュル氏は、政治の未来を同氏に託す者たちが増加した11月1日の選挙前にインタビューやメディアに対し発した声明で、AKPが結党期の諸原則から遠ざかり始めた事に対し苦言を呈した。外交政策に対しても批判を向けたギュル氏は、発生した出来事に関して「失われた数年」という表現を用いた。ギュル氏のこの明確な発言は、同氏から合図を待ち望む者たちに対する明確な11月1日の選挙後のメッセージと受け取られた。ちょうどその時、時事問題となった「第5政党(新党)」論争に関してギュル氏と会談した者たちは、「ギュル氏は、AKP創立者であり何年も党を指導した二名のうちの一人である。同氏は決して第5政党問題に関与しないが、AKPの結党理念に関する問題を考えておられるが故に、[選挙で]票が失われた場合に排除されているAKP議員らを拾い上げる形で党をまとめるために政治活動に復帰される」とコメントした。

■ 哀悼の意で緊張

支持者らがこの期待を胸に臨んだ11月1日の選挙で明らかになった結果は、予想に反する形で高得票率をもたらした事で状況は一変した。ギュル氏は、初日に Twitterのアカウントを通じて声明を発し、「AKPの選挙での勝利を祝している」ことを明らかにした。但し、とりわけダヴトオール首相サイドは、同声明だけでは不十分とみた。首相関係筋ではギュル氏自ら電話で、あるいはメッセージを送ってダヴトオール氏を祝福すべきだと言われた。この期待の背景にはギュル氏が10月10日にアンカラで起きた虐殺事件を受け人民の民主主義党(HDP)のセラハッティン・デミルタシュ共同党首に電話し哀悼の意を表明した事で生じた[党執行部との]緊張が関係している。ダヴトオール首相は、ギュル氏のHDPに対する哀悼のメッセージを、「HDPのみに対し哀悼の意を表明する事はアンカラで亡くなられた全市民とHDPを同一視する事を意味する。我々は大変悲しい思いをした。トルコで最大の哀悼を示した場は首相執務室である」との文言で苦言を呈 した。ギュル氏もダヴトオール氏に対して、「今日そうして死者に哀悼の意を表すれば、この行為でさえ不審がる雰囲気が生じる。この雰囲気の中で如何にして共に暮らしていけようか、如何にして長きに渡って皆が一体となれようか」と返答した。

■ そして待ち望まれた電話

ジュムフリエト紙のエルデム・ギュル氏の報道によると、49%の得票率は、ダヴトオール首相が期待した祝福の電話が来るのを確実にした。ギュル氏はまずエルドアン大統領に電話を掛けた。その後、ダヴトオール首相に電話し、選挙の勝利を祝した。ギュル氏も、首相府も大統領府もこの電話についてとりわけ世論に伝えることはなかった。但し、電話の件は、党内で人びとの間で広まった。ギュル氏の電話はダヴトオール首相サイド、また党内の反対派で別々の結果を生んだ。首相サイドは、ギュルがもはや政治的主体として行動する事はないという結論に安堵した。今後の政治に関しギュル氏へ希望を託しているAKP所属議員らは、この希望をまた別の春まで先延ばしにせざるをえなくなった。

ギュル氏に希望を託す議員らが今後の進展を静かに見守るため待機し始め、次にエルドアン大統領ではなく、ダヴトオール首相に接近するであろうと裏で囁かれている。

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( 翻訳者:藤井庸平 )
( 記事ID:39134 )