アフスカ系トルコ人を受け入れ―ウクライナから移住
2015年12月26日付 Hurriyet紙


ウクライナから、2つのグループでやって来た329人のアフスカ系トルコ人が、エルズィンジャンにおいて、ヤルチュン・アクドアン副首相によって花束とともに出迎えられた。

ウクライナで暮らしていた329人のアフスカ系トルコ人が、キエフから飛行機でエルズィンジャンに到着した。彼らのために行われた歓迎式典には、ヤルチュン・アクドアン副首相、スレイマン・カフラマン県知事、ジェマレッティン・バシュソイ市長、公正発展党エルズィンジャン県選出のセバハッティン・カラケッレ議員、セルカン・バイラム議員、ウズムル郡知事ファーティフ・アジャル氏、アフメト・サズル市長らが参加した。

最初のグループであった164人のアフスカ系トルコ人は、午後4時、トルコ航空から降機する際、拍手で出迎えられた。エルドアン大統領の指示を仰いだと述べたアクドアン副首相は、エルズィンジャン空港に降り立ったアフスカ系トルコ人らにカーネーションを渡した。トルコに来られたことを非常に喜ばしく思っていると述べたアフスカ系の人々の中には、嬉しさから涙をこぼすものもいた。税関を抜けた後、彼らに対し、郡の軍楽隊チームがパフォーマンスを披露した。アフ スカ系の人々は、トルコ国旗を揺らしながらパフォーマンスを鑑賞した。

今日(26日)、2機の飛行機で90世帯329人のアフスカ系トルコ人がやって来たことを述べたヤルチュン・アクドアン副首相は、彼らがエルズィンジャン県ウズムル・ブジャウのTOKİ(集合住宅局)の住宅で暮らすことを発表した。アクドアン氏は、「アフスカ系トルコ人の方々が経験した困難や圧制、追放などは皆さんご存知でしょう。皆さんがメディナに移住したムスリムと、彼らを受け入れて支援をしたメディナのムスリムのように、理解をもって、全ての同胞たちに最も良い形で彼らを受け入れてくださることを信じています」と述べた。

■アクドアン副首相: 枯葉のごとく世界中に散っていった

「母国へようこそ」と述べたアクドアン副首相はまた、以下のように話した:
「アフスカ系の人々と我々の間は、1800年頃から国境によって隔てられていました。しかし、私たちの心の間にはいかなる距離も生まれませんでした。アフスカは元々はジョージアにあり、近い地域です。とても辛い経験をされました。1944年の第二次世界大戦の悲劇の中、アフスカ系の兄弟たちは、列車で見知らぬ土地へと向かったのです。

列車は12万人が列車に詰め込まれました。どこに向かうのかもわからないまま、枯葉のように、世界中に散っていきました。今日では、世界の9カ国で生活しています。2つ目の大きな悲劇は1989年のことでした。再び辛い思いをした兄弟たちがいました。彼らは再び追放され、辛苦を味わいました。そしてトルコは、半世紀の間に2度も排除された兄弟たちを守り、今後も守っていきます。1992年には、他のどの集団に対しても行われなかったことを行いました。アフスカ系トルコ人の方々をトルコに受け入れ、居住に関する法が承認されたのです。トルコ共和国の総勢力をあげて、彼らを保護したのです。」

世界アフスカ系トルコ人協会のズィヤッディン・カッサノヴ会長は、アフスカ系の人々が9カ国で生活していること、また今日26日が歴史的な1日であること を述べた。カッサノヴ氏は、3度の強制移住にもかかわらず、アフスカの人々は言語、宗教、慣習、そして風習を忘れてはいないと語った。

行われたスピーチでは、500世帯3000人から成るアフスカ系トルコ人の人々が、ウズムルとゲイクリ市に作られた580戸のTOKİ住宅に移住すること、最初の2つのグループの後またアフスカ系の人々がエルズィンジャンにやって来る予定であることが明らかになった。式典では、副首相のアクドアン氏とプロトコルのメンバーによって、アフスカ系トルコ人に対し、まず5つの家の鍵が渡された。出迎えと会談の後、ウズムル郡のTOKİ住宅に移動したアクドアン副首相は、家族が暮らす家を見学し、移住する家族らと談笑した。

■アフスカ系トルコ人、新しい家で

会談の後アクドアン副首相は、アフスカ系トルコ人の家族らに、エルズィンジャンのウズムル郡にTOKİによって作られた、家具付きの部屋の鍵を配布した。家族らは式典の後、彼らの家に案内され、入居した。

家族らにはアクドアン副首相も同行した。新しい家を見た家族は、大きな喜びに包まれた。

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(翻訳者:木全朋恵)
(記事ID:39481)