タイベト母さん、ミライちゃん、私たちを許して-南東部の戦闘で民間人死亡者増加
2015年12月27日付 Zaman 紙


南東部での戦闘で民間人の犠牲者も出ている。次から次へ届く死亡者の情報に人々は心を痛めている。最近ジズレでミライちゃんという名の赤ちゃんとその祖父のラマザン・インジェさんが銃撃された。スィロピで亡くなったタイベト母さんの遺体は7日後に通りから運び出された。この悲惨な出来事に対して人は、 「悲しい出来事がたくさん起こっているジズレとスィロピから目を背けること、母の遺体を通りから運び出せずにいる孤児に背を向けることを神様がどうして許してくれるのか」と言わずにはいられない。

あなたは聞いたことがあるか私は確信がない。「なぜなら国内メディアは全くこのことに触れていないのである。タイベト・イナンはさん、57歳であった。 11人の子供の母であった。スィロピのヌル通り58番通りに住んでいる。外出禁止令がでてから12日目に、どうなっているのかを聞きに行った近所の宅から戻る際に通りの真ん中で銃撃された。即死だった。

12月19日土曜日であった。銃撃のために誰も通りに出られなかった。兄の妻(タイベトさん)が銃撃されたのを見たユスフ・イナンさん(40)は、通りに飛び出た。しかし、義姉のもとにたどり着く前に彼も銃撃された。必死に近くの家の庭に逃げ込んだ。タイベトさんの夫のハリト・イナンさんは、何をしていいのかわからずその場で泣いた。耐えられずに通りに出た。妻の遺体を通りに残しておきたくなかった。しかし彼も銃撃された。足を撃たれて倒れこんだ。這って壁の裏に隠れた。隣の庭に避難した。

イナンさんの家族はありとあらゆるところへ電話をかけた。警察、救急車、病院…しかしだれも来なかった。誰も通りに出られなかった。ユスフ・イナンさんは、20時間も救急車を待っていた。最終的に出血多量で亡くなった。タイベト・イナンさんの遺体は7日後に通りから運び出された。12月25日の朝方、街に救 急車が入り、白旗を手に外に出た人々がタイベト・イナンさんの遺体を救急車に乗せた。ユスフ・イナンさん(40)も、ともにスィロピ公立病院に運ばれた。 
そしてミライちゃんは。ジズレのスル街区で母の腕の中で、どこから発砲されたのかわからない銃弾を頭部に受けた。3カ月の赤ん坊を病院に連れていくために 通りに出た母親と祖父も銃撃されて負傷した。腹部を銃撃された祖父のラマザン・インジェさんは、小さな孫と同じように運ばれた病院で亡くなった。
ミライちゃんの授乳の写真はトルコ全土を立ち上がらせると私は考えていた本当は。私は間違っていた。映画の1シーンのように私たちは見ていた。残念ながら。7,700万人の心が一つにならなかった。私たち新聞記者も自分たちの責務を果たせなかった。ミライちゃんの悲劇をトルコの悲劇として伝える ことができなかった。タイベト母さん、ミライちゃん、私たちを許してください。

■あなたたちの母の遺体が7日間通りに放置されていたらどうするのか。

病気によって、人は鈍感になるといわれる。アルツハイマー、認知症、統合失調症。社会として、私たちはこのような病気にかかっているのかもわからない。 国の一部で起こっている死を、他の人々が見ず、鈍感、無関心、無頓着なままでいることは、健全な社会を示すものではない。経済的、科学的、技術的に私たちは進歩したのかという議論はなされているが、人道、倫理、哀れみ、寛容、愛情といった点で取り残されているのは疑いようがない。未開の時代にあったと私たちが考えている野蛮な振る舞いをして、さらに これを才能ととらえている。最新モデルの自動車に乗り、最新の洋服を着ているが、偏狭さと無慈悲に心を侵されている。宗教的、人道的な感情を急速に失っている。消えそうな人権という灯を再びつけることができるのかはわからない。「千年以上私たちは一緒に生きている。もはや一心同体である」と言っていた兄弟に対し無関心でいること、近くで悲劇が起こっているジズレとスィロピから目を背けること、母の遺体を通りから運び出せずにいる孤児に背を向けることを、どうして神様が許 してくれるのか。私たちはコーランから、ムハンマドからこんなことを学んだのか。ムハンマドの願いはどうしてこうなってしまったのか。お互いを愛し、慈悲と寛容を示して、「体の一つの器官と同じである」とならないのか。さあタイベト・イナンさんの息子のメフメト君の質問に答えよう。「あなたの母の遺体を7日間 通りで放置されたらどうするのか。」

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:39495 )