モスタル橋を車で渡ろうとしてトルコ人ツーリスト、騒動に
2015年12月30日付 Radikal 紙


ミーマール(建築家)・スィナンの弟子ハイレッディンによって1566年に建てられた歴史的なモスタル橋を自動車で渡ろうとしたトルコ人観光客はボスニア・ヘルツェゴビナを騒動に巻き込んだ。

ボスニア・ヘルツェゴビナの警察は、ボスニア・ヘルツェゴビナ国内で最も重要な歴史文化遺産に含まれるモスタル橋をレンタカーで渡ろうとしたとされているトルコ人を探している。

警察は、借りていた黒の自動車で夜間にボスニア・ヘルツェゴビナ南部のモスタル市のシンボルであり、交通封鎖されていた橋の上で出たトルコ人のB. G. のために、まさに大騒ぎとなった。

モスタル橋の上でとった写真の公表の後に、記者発表をしたヘルツェゴビナ-ネレトヴァ川警察のスポークスマンのリュデヴィトゥ・マリク氏は、サラエボ国際空港のあるレンタカー会社から車が借りられたことがわかったとし、自動車と運転手を捜索し続けていることを明かしながら、「当該のトルコ人と我々が話せたなら、意図が何であるのかということ、故意あるのか、はたまた間違って橋へ出たことを我々は理解するはずだ」と述べた。

マリク氏は、歴史的な橋で被害があるのか、ないのかという問題において調査が続いていることを明かし、損害を受けている場合には、当該の人物がこれらの責任者だと述べた。

ミーマール(建築家)・スィナンの弟子のハイレッディンによって1556年に建てられた橋は、ただ町の名を与えるにとどまらず、何年も複数の文明や文化を結合するシンボルのうちの一つになっている。

ボスニア戦争でクロアチア軍の砲撃を受けた結果崩壊したモスタル橋は、トルコ協力調整機構(TIKA)の貢献によりオリジナルに適した形で再び建設され、2004年に開通した。モスタル橋は、モスタル旧市街と共に2005年に世界遺産リストに加えられた。

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( 翻訳者:山村 弥 )
( 記事ID:39520 )