大きな避難民の町、キリス
2016年02月15日付 Hurriyet 紙


キリスを一望できる丘から見た時に、シリア側から見た時、地平線から砲撃の煙が立ち上る一方、キリスが最新の現代的なアパートで大きくなったのも見える。歩道には足の踏み場もない。日中はいつでも大小の通りで渋滞が起こっている。その理由をキリス市長のハサン・カラが説明した。

「キリスは2023年に人口が11万5千人に達するだろうという見込みのもと、整備が進められている。インフラはこの見込みをもとに整備され、他の施設も完成間近である。2011年にシリア内戦で空爆が始まった直後から、人口は2倍に膨れ上がった。人口の増加は、商店街、公園、レストラン、市場でも見てとれる。アナトリアのどの都市も経験しなかったこの異常な活気に驚いている。さらに驚くことは、この状態が衝突に発展しないことだ。」

■メッカ・メディナの例

アダナやシャンルウルファを筆頭にシリア難民と住民との間に時々起こり、警察や司法に通報されるような衝突は、キリスでは今日まで起こっていない。貴金属商のムラト・ダバヌウズンは、この状態「アレッポの人々と通婚や交易といった交流を何百年もしてきた過去がある。他人ではない。また移り住む人と迎え入れる人の感覚が私たちの中にある」と説明している。

シリア難民に示した親切を「移り住む人と迎え入れる人の感覚」として説明した何十人ものキリスの人々に私たちは出会った。スーパーの店主であるセルダル・ ユルマズ(45)は、「避難民は、圧政を被って移住してきた人であり、受け入れるものは仮の賓客をもてなす人である」と述べた。ムハンマドがメディナへ移った時のメッカの人々のように、私たちもシリア人たちを快く迎え入れた」と述べた。

キリス県知事スレイマン・タプスズも、難民が避難してきたことを商売のチャンスと捉え、価格を上げたキリス市民を批判した。「ムハンマドとメッカからの移住者に対してメディナの人々は、「避難民が来た。パンの価格を上げようと言ったか。分け合ったのか。このようなことがおもてなしといえるのか。」

町の真ん中で暮らしていて、金銭的に裕福なシリア難民は、賃貸に暮らしている。なぜなら、シリア人は、地券法により、トルコで不動産を購入できないからだ。 ハタイをトルコの領土に編入したかった初期のトルコ共和国政府とシリアとの間に生じた緊張関係は、1939年にハタイが独立を宣言し住民投票でトルコへ編入されるという結果となった。地券法もその当時施行された。

キリス市長ハサン・カラは、「会社を起業すれば、会社名義で不動産は購入できる。このため、不動産を購入しているシリア人は少ない。」

■単純労働者の嫉妬

キリス市民は、単純労働の需要が安価なシリア人に流れていることに憤っている。マーケットの店主であるセルダル・ユルマズは、「出前の仕事でおいに1日当たり 30リラ払っている。シリア人は20リラで請け負ってくれる」と話した。公務員を退職したアブディ・ウイグンは、シリア人がトルコ人の好まない農業、建設業、繊維業、配送業に就いていると述べている。キリス県知事スレイマン・タプスズによると、キリスでの失業はないと言っていいほど少ない。

「オンジュプナルとエルベイリの難民キャンプの警備と清掃で2千人のキリス市民が働いている。トルコ労働協会(İŞKUR)の社会活用雇用計画の中で2500人の雇用枠が設けられた。社会援助協力財団は、開発局と低所得者層にあらゆる援助を行っている。南東アナトリア計画(GAP)管理庁からの農業への大きな貢献もある。」

■賃料が高騰した

手厚くもてなされたシリア人に対して、賃料の増加の原因となったため反感を示す人々もいる。人口が倍になると、キリスで投機バブルが起こった。不動産の所有者は、高まる需要で高い利益を上げた。キリス市民は、この状況の一端はシリア人にあると考えている。専業主婦のアイシェ・オズデミル(26)は、 「150リラの賃料がシリア人のせいで450リラになった」と述べ、繊維業労働者のアブドゥルラヒム・レムオール(31)も「イスタンブルのバージュラルでは、500リラで住んでいた。キリスに戻って同じ額を支払っている」と述べた。ジュマリ・クルオール(35)はというと、これに反論している。シリア人には全く罪がないと。「賃料をだれが上げたのか。私たちである。機会主義者は誰だ。自分たちだ。」

■10%の定数

労働・社会保障省が新たに施行により従業員の10%がシリア人となる。農業と牧畜業の分野では10%の定数を超えるだろう。キリス市には発展した産業がない。建設が予定されているポラテリ産業地区は、3年後の操業開始で大きな雇用を生み出すだろう。キリス市では、食品業、小売業、バイク修理、繊維業が主産業である。

■アレッポの商人の成功

何百年もの間この地域の交易の中心地であったアレッポの商人の一部は、内戦から逃れてトルコに避難している。大部分がメルスィンを選んだが、キリスを選んだ人々は、金細工師のムラト・ダバヌウズンによると、「資本とともに知識をもたらした。小売業者の先をいった。トルコの商店は夕方になる店を閉めるが、アレッポ人が営業している八百屋は夜中でもレジに列ができている」と述べた。タプスズ県知事は、「我が国に外国人の投資を私たちは望んでいなかったのか。アレッポ人の商人は、産業地区にイタリア人と共に家具の工場を開くだろう」と述べた。

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:39856 )