紛争避難の子供たちで、教室は一杯―シュルナク・ジズレ
2016年02月27日付 Radikal 紙


シュルナクやジズレで、村の学校に村の外から避難してきた生徒が行くと、クラスは50人規模に達した。1列の机に3・4人の生徒が座らざるをえず、戦闘の起こっている地域から来た生徒たちは精神的なトラウマを負っている。

 外出禁止令によって、シュルナクとジズレで、教育の機会に悪影響を受けている小学校の生徒たちは、移住先の村々の学校で(転入ではなく)ゲストの生徒として授業を受けている。村々にいる生徒数の増加とともに、生徒たちの文房具といった多くの点で問題が起こっている。

■「36人用のクラスに54人」

 ジズレのアクチャイ村の教師であるY.V.さんは、戦闘地域の村から移住せざるを得なかった生徒たちに関して次のように話した。「ジズレの外出禁止令とその地域での戦闘によって、多くの家族がこの村に移住を余儀なくされました。村への移住を強いられた家族のそばには小中学校で教育を受けている幼い子どもたちもいます。私たちは、ジズレやシュルナクから村に来た子どもたちが教育を受け続けることができること、授業から取り残されないことのため、家族に子どもたちを学校に行かせることを要望しました。家族も子どもたちを学校に行かせました。
 私が教鞭をとっているクラスの人数は、外出禁止令前は36人でした。しかし、村に移住してきた生徒たちを合わせるとクラスの人数は54人になりました。こうなっては、私たちも全ての生徒の面倒を見られません。しばしば時間を取られます。ジズレやシュルナクから来た生徒たちは概ねうまくやっています。皆勉強して弁護士や医師、教師になりたいと言っています。
 ゲストとして授業を受けている生徒たちを、この学校に在籍登録することはできません。なぜなら、生徒たちの登録をするためには、教育を受けてきた学校から転校届をもらわなければならないからです。ジズレではまだ外出禁止令が続いているため、生徒たちの書類も取ることはできません。一部の生徒たちはジズレでの精神的トラウマをまだ乗りこえられていないようです。授業時間に授業を受けているジズレやシュルナク出身の生徒たちはしばしば授業を聞いておらず、授業に適応できていないようです。彼らに理由を聞くと、ジズレに残っている同級生が恋しく、ジズレの学校に戻りたいと話しています。」

■「1列の机に3・4人が座らなければならないことも」

 Y.V.さんは、ジズレに続きシュルナク中心部でも外出禁止令が実施される予定であるという噂のため、シュルナクからこの村に移住してきた家族の数も増えたと説明し、「ジズレから移住してきた家族に続いて、シュルナクでも外出禁止令が始まるという不安から家族たちが私が教鞭をとっている村にやって来ました。今度はジズレ出身の生徒もシュルナク出身の生徒も学校で受け入れました。1列の机にしばしば3・4人が座らざるをえなくなっています。すべてのクラスで生徒数が増え、同時に全校生徒数も倍になりました」と述べた。
 Y.V.さんは、学校にゲストとして通っている生徒たちのそばにはペンやノートさえないと話し、次のように続けた。「しばしば学校の教師は新たに来た生徒たちにノートやペンを買っています。また時には村の生徒たちが新たに来た生徒たちと文房具を共有しています。このような状況なので、慈善家からの文房具の支援を期待しています。
 外出禁止令のため、生徒たちは家族とともに家を捨て、ジズレ周辺の村々に移住しました。この状況は、生徒たちと家族が生活に備える条件に悪い影響を与えています。ゲストの生徒たちは私たちにジズレやシュルナクで何が起こっているのかを説明しています。幾人かは家が破壊され、幾人かは友人がどこにいるのかがわからず、ジズレの学校に戻りたいと言っています。皆精神的にダメージを受けています。このため、生徒たちが授業に適応できるには長い時間がかかるでしょう。村では可能性が限られているため、問題が起こる可能性もあります。ジズレやシュルナクから来た中には、6年生、7年生、8年生の生徒たちもいます。この生徒たちは小学生に比べ状況を少しよく理解しています。小学生に比べ彼らの方が不安を感じています。特に中学生は外出禁止令によって自分たちの望む成功を手に入れることができないと考えています。生徒たちにとって、衝突のプロセスと外出禁止令は自分たちに関する先入観の雰囲気を作り出しています。この悪い状況を脱するために、皆さんが必要です。それぞれの生徒は私達にとってとても大切です。私達も出来る限りのことをしようと努めています。」

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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:39937 )