オスマン時代から今日までの身分証
2016年03月06日付 Hurriyet 紙

初めて「オスマン帝国の登録証」という名前で印刷された身分証は、オスマン朝時代から今日まで様々に変化してきた。

「住民登録局」によって配付されたこの身分証は、一枚の罫線の入った紙にオスマン語が印字されている。アナトリア通信が内務省の資料から集めた情報によると、1836年に「内事省」という名で作られて、1838年に「内務省」という名前となった機関が管轄し、住民登録を行うために1884年に「住民局」という組織が作られた。
その後1889年に「住民登録局」と名付けられた組織によってオスマン朝の最初の身分証「オスマン朝の登録証」が配付された。
この時代のこの身分証が、特定の住民登録を基にしたものではなく、身分証を持っている人が住民台帳に登録があるとは限らず、公的な手続きにおいては全く利用できないものだったことが確認されている。
最初の正式な住民登録は1904年に行われ、この登録により最初の住民台帳とこの台帳を基にした身分証がつくられた。
オスマン朝時代に始まった「オスマン帝国の登録証」は、共和国時代までデザインは全く変わらずに使用された。1928年になると、身分証の書体やページ数も変化した。

■目の色や身長、職業も身分証に

オスマン朝時代に、「オスマン帝国の登録証」という名前で使用されていた身分証は、二つの部分から構成されていた。身分証では、その人の職業、特徴、目の色、身長に関する情報が記載されていた。
最初の部分で、「軍隊の階級」、「結婚しているかどうか」、「職能、階級、職業と権限」、「民族」、「生まれた年と場所」、「母の名前と出身地」、「父の名前と出身地」と「名前と称号」が書かれていた。
身分証の「民族」に場所には、それぞれの宗教によって、「イスラム教」、「ユダヤ教」、あるいは、「キリスト教」と書いてあった。
「住民登録地」と「特徴」という次の部分では、その人の「家の場所」、「通り」、「地区と村」、「州」、「目印」、「特徴」、「目の色」、「身長」に関する情報が記載されていた。
オスマン語が罫線の入った紙に印字された最初の身分証は、たったの一枚であった。共和国の建国年の最初の住民登録の後に身分証は、1928年につくられ、オスマン語で32ページにわっていた。

■身分証の時代

「オスマン帝国の登録証」は1928年に、「身分証」という名前に変更された。
この内務省の資料では、(身分証は)人によって異なり、「この身分証には、名前、称号、地位、職能が記されている…男性或いは女性で、トルコ共和国の国籍を有し、そのうえで住民登録をしていることを報告した者にこの身分証が交付された」と書いてあった。
身分証を与えられない状態でも、代わりの「İlm-ü haber」という身分証が作られた。

■苗字も付け加えられた。

身分証は、さらに年がたつと、「住民登録身分証」という名前で、ラテン文字で印刷された。32ページからなるこの身分証の最初のページにその人の写真と 「家族の名前、あだ名」、「名前」、「父の名前」、「母の名前」、「生まれた場所」、「生まれた年」といった情報が記載された。さらに後には、「苗字」と 「性別」もつけ加えられた。
身分証を重要文書とする、1963年の第210号重要文書法が可決された。1928年には、ラテン文字が採用されたため、アラビア文字とアラビア数字が廃止された。

■最初の「トルコ共和国身分証」は中央銀行から

何枚にもなる身分証は、1991年まで続いた。しかし、1976年6月1日からこれらの代わりに10.9×7.8サイズのカードの形の身分証が作られた。
「トルコ共和国身分証」という名前でトルコ国旗が左側にあり、中央銀行によって作られた身分証の表面に、名前と苗字、母の名前、父の名前、出身地と生まれた年、国籍、血液型、宗教が記載された。裏面の住民登録地には、県と郡と地区、村、番地、住民登録局、発行理由、個人番号、発行年月日が記載されている。
男性の身分証には、裏面に「兵役証番号」も記載されている。

■新しいチップ付きの身分証の導入

身分証は、1989年7月3日から9.5×7.1サイズの造幣局と印刷総局によって、トルコ国旗が右側に印刷されている。国籍、血液型、宗教といった項目が裏面に記載されている。「兵役証番号」は廃止された。
身分証は、トルコ共和国個人番号が2001年に初めて加えられた。
チップ付きの身分証はというと、3月14日にまずクルクカレで導入された。
身分証は、高度な安全と偽造の防止に向けたチップ付きの身分証によって現在の形になった。

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:39995 )