Oral Calislar コラム:PKKよ、大量殺人でどこに向かうつもりか
2016年03月14日付 Radikal 紙

都市での大量虐殺を狙った殺人行為を行うPKK(クルディスタン労働者党)は、あらゆる点で度を越えている。

アンカラでのテロ前日、カンディルにおいてPKK幹部のドゥラン・カルカンが10の左派組織が共同で活動する決定を下したと発表した。果たしてこれは偶然だろうか。
母語使用や自治権など、私はクルド人があらゆるアイデンティティに関する権利を獲得することを、常に支持してきた。そのためにトラブルに巻き込まれたこともあった。「クルド」という単語が禁止された時代に、この単語を裁判で用いたために罰を受けたこともある。

トルコが民主国家であるためには、クルド人のアイデンティティ権が認められることが不可欠である。私はいつもそう考えていた。そしてそれをどのような条件や環境にあっても、ひどい脅迫を受けた時でさえも主張してきた。90年代にはそのせいで私が書いた記事が出版・公表されないこともあった。
解決プロセスをこのような期待をもって支持し、平和がずっと続くよう全力を尽くしたつもりだ。
ディヤルバクル、スル、マルディン、ウルファ、その地域やそこに住む人々を、自分の生まれ故郷であるタルススよりも好きだと言えるだろう。
HDP(人民民主主義党)やその前身の組織を、クルド政治が合法化され、暴力ではなく法的な場で代表するという観点から常に重要視してきた。

■暴力を解決法とみなすこと

2015年7月22日夜、ジェイランプナルで警官2名が射殺された事件がターニングポイントとなった。
過去にもPKKは市民や無抵抗の人々を殺害した。その際には常に多くの批判がなされ、私も批判をしてきた。しかし、今回は大量殺人と向かい合わせである。仕事を終え帰宅する者、学校から帰る者、散歩に出かけた者などを殺害するような行動に直面している。テロによる際限のない暴力は社会全体を標的としているのだ。
彼らはこれらを彼らなりの「クルド人の権利を主張する」といった名目で計画しているのかもしれない。自爆テロ実行犯は「クルド人解放のため」、他の人々を殺害するよう説得されたのかもしれない。

■与党へ敵対し、暴力へ走る

「ほら、見てみろ。この国家を緊張状態に陥らせたのだから、責任をとってくれ…」 このように考えで記事を書いているのも見る。
「この政府が大嫌いだ。我々は、政府に害を与える者全ての仲間だ」という考えを持つ人がいることには驚かされる。貪欲さやエゴがこれほどまで際限のない「復讐の動機」に代わってしまうことが理解できない。

■どの権利、何の自由?

都市での大量虐殺を狙った殺人行為を行うPKKは、あらゆる点で度を越えている。クルド人の権利を保護するという動機は、文字通り血に染まった。我々は大量殺人によって袋小路へと入ってしまったのだ。ここからは自由も民主主義も生まれない。
痛みや衝突が生まれるのだ。我々全員がとても重い代償を支払わなければならない、最も深く長期にわたる虐待もクルド人が経験するであろうカオスの中に巻き込まれていこうとしている。
PKKには、年月の蓄積によって、全国に広がった強固な社会的土台がある。この衝突は彼らにとっても、どう転ぶか予想不可能の冒険へと変わった。クルド人にとっての分岐点であるとみられる。

■誰が仕組んだのか?

アンカラでの大量殺人を受けて、ロシア連邦院国防委員会のフランツ・クリントセヴィチ副委員長は以下のようにコメントした。
「テロリストがトルコで何がしたいのかは明らかだ。テロ攻撃を企てる者はトルコやその地域でカオス状態を生み出し、トルコ政府が正式にシリアに軍事介入するよう強いている。隣国へ介入するよう挑発しているのだ。」
PKKが何をしたいのか時間がたてばたつほど理解するのが難しくなっていく。知恵や知識で説明できるような次元ではない。彼ら独自の「地図」でもあるのだろうか。中東で何かを企んでいる他の国のための「代理戦争」でもしているのだろうか。もしくは、さらに奇妙で汚いつながりでもあるのだろうか。
どうであっても、認められる、許される、言い訳できるような状況ではない。」

残忍な行為に正当性はない。
ある人は「ほら見ろ!」とでもいいたげである。
これほどの無謀さは理解できるものではない。
何をするにしても、それは政治の場面で行うべきだ。
1日前の記事で私は「ユクセコヴァへの措置が行われる前に、何か解決策を生み出すべきだ」と述べた。
どうなるのだろう。ある都市の市街地を銃の脅威によって征服し、そこで自分達の都合で運営すると宣言するのだろう。そして、そこで銃を積み上げ紛争へと進んでいき、都市が壊れてしまうような環境を生み出すのだ…。
「軍事行動を停止すればいい。」というだろう。そうだ、停止しよう。だがユクセコヴァは落ちてはならない… 一体どうやって?
アンカラの中心部で無実の人々が無慈悲に殺されているなか、「ユクセコヴァの抵抗」を話している。
PKKが武装「左派」組織の一部と共同で活動する決定をカンディルで公表した翌日にアンカラでの残忍な事件が起きたことは単なる偶然なのだろうか、それとも新しい時代の始まりなのだろうか。

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( 翻訳者:入口 愛 )
( 記事ID:40060 )