「パレスチナから来た女性」の迷路
2016年03月18日付 al-Hayat 紙


■「パレスチナから来た女性」の迷路

【マーズィン・マアルーフ】

リーム・リファアト・ニムル氏はその著書『パレスチナから来た女性 戦争と戦線の迷路』(ダール・リヤード・ライス)の中で彼女の人生と、彼女の夫でありパレスチナ人指導者のムハンマド・ザイダーン(アブー・アッバース)の人生を隔てるロープの上に立つ。ムハンマド・ザイダーンは国際的危機を背景としたイタリア旅客船アキレ・ラウロ号乗っ取り事件により西側で「主要なテロリスト」として知られるようになり、最後はアメリカによるイラク占領中に突然で不可解な獄死を遂げた。

この本は、注目すべきバランス感覚と闘争のスローガンからは距離を置いたスタイルでひとりの男性とひとりの女性を主人公とするパレスチナの物語を考察している。絶え間ない移動、追われる身としての生活、殺害の脅迫、繰り返される妨害工作、そして出頭命令など、2人の約30年間の結婚生活を刻印している。そして2人の間に乗り越えることが不可能な地理的亀裂を生んだ重い岩のようなイラク侵攻が発生する。シリアとイランの国境が閉鎖された後、リームはベイルートに残り、アブー・アッバースはイラクに留まる。そしてアメリカ軍は狡猾に彼を追跡し、最後には彼を拘束する。

パレスチナのために戦った男は、のちに指導者の模範像となり、その比類なき大きな影は後進たちに影響を及ぼした。彼は政治的取引やプラグマティックな行動様式といったものからは距離を置いていた。また1970年代に一連の工作活動を実行してからはモサドに追われる身となった。そして、ベイルート侵攻時にはより多くの暗殺の企てに晒されることとなった。

レバノンの首都から脱出した後はダマスカスに迎え入れられ、ハーフィズ・アサド大統領は彼に息子バースィルの訓練を依頼した。だが、アブー・アッバースはアフマド・ジブリール率いるPFLP-GCからは早い段階で離反し、またヤースィル・アラファートとも時々意見が異なっていた。その後はイスラエルによる脅迫からの保護を求めてイラクに亡命せざるを得なくなった。また、彼とアラファートとの関係もダマスカスの歓心を買うものではなかった。

(後略)

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:勅使河原佳野 )
( 記事ID:40082 )