Oral Calislar コラム:クルド人の身になって考えること・・
2016年03月19日付 Radikal 紙

「(クルド問題への)新対策」が議論されている現在、慎重であれねばならない。「アイデンティティ」に関し、抑圧的にならないよう、慎重であれねばならない・・・。

ヴァフデッティン・インジェは、カラル新聞で記者業を始めたばかりのジャーナリズムだ。昨晩、ハベルチュルクTVのエジェ・ウネルの番組「エニエ・ボユナ」に一緒に出演した。

ヴァフデッティン・インジェは、アンカラ・メラースィム通りでの殺人の犯人の葬儀に参加したHDPの国会議員ツーバ・ハゼルに関し、興味深いコメントをした。曰く「ツーバ・ハゼルは、ヴァン県エルチシュ郡の出身だ。二人の村はすぐ近所だ。彼女の一族の多くは1930年におきたズィラン谷の虐殺で亡くなっている。一人の国会議員として、一人の人間として、殺人犯の葬儀に参加するのは間違いだ。しかし、彼女がどういう気持ちなのかを理解するのは容易ではない。」

ヴァフデッティン・インジェは、親イスラム系の出身だ。11月1日の選挙では、AKPのヴァン県第3位の候補だった。いわば、クルド系知識人だ。彼事の見方もその文脈で理解する必要がある。

クルド人たちが体験していることを、我々はわかっているのだろうか?塹壕戦は、彼らを悲惨な目にあわせた。何千にも若者が山岳地帯で命を落とした。国家により焼き払われた村を去らざるを得なかった何百万人のクルド人が、町の通りで、仕事も金もなく、家もなく暮らしていることを我々は知っている。
しかし、これらはごく最近のことだ。では、共和国になって以来、彼らがどんな目にあってきたのかを我々が知っているだろうか。多くの殺害や圧力があったことを、ようやく知るようにあってきたではないか。

■PKKへつながる道

長年にわたって声を発しなかった、あるいは、黙らされてきた。その後、主張をはじめた。国家は改めて暴力で応じた。この結果としてPKKが生まれてきた。s
国家との闘争に向かったPKKは、被害者意識から、暴力を戦いの手段にした。当初は、貧しいクルド人の若者を組織化した。その後、地域の住民に対し、圧力をかけるようになった。

■クルド・アイデンティティ

どんな政治的な立場に立とうと、すべてのクルド人がアイデンティティを希求している。国家がこの希求を拒否するたびに、政治的立ち位置を越えて、クルド人は一体化する。
現在、難しい局面を迎えている。クルド人の多くは、PKKの最終反乱の思惑を支持してはいない。一般市民を狙ったテロ戦略に懸念し、反発している。

■和解

国家とクルド人が和解し新しい局面を開くためには、これまでとは違った状況にある。「解決プロセス」が進んでいた時期には、主たる交渉相手はPKK/HDPだった。その結果、クルド人たちはこの政治的な潮流に、これまでより、大きな関心を示した。
しかし、現在、流れは逆だ。PKK/HDPラインは、政府の標的となっている。PKKは、流血のテロという新しい戦略をとっている。
クルド人の一部は、いまも、このラインを支持している。時には批判的な態度もとるが、そのラインと運命共同体だと思っている。一部のクルド人はというと、過去においてHDPを支持してきた。PKKにもシンパシーはもつが、現時点では距離を置いている。その一方で、PKKへ毅然とした態度をとるクルド人グループもいる。
特に大都市に暮らし、近年政治的意識に目覚めた中流階級のクルド人に注目する必要がある。このグループの人々の多くは、ここ最近はHDPを支持してきた。今は、ためらっている。
全体を一つにまとめるような「クルド人ポートレイト」を描くことはもちろん容易ではない。
以上の私のまとめは、グループ分けをしているだけだ。
地域による違いも大きい。イズミルのクルド人とイスタンブルのクルド人の間にさえ、違いがある。
アレヴィーか、スンナ派か、若者か、年配かによっても違うがある。

■しかし・・・

彼らのすべてがクルド人だ。特別な感情を共有する。すべての人が、東部・東南部で起きている悲劇や、強弱の差はあれ組織化と何らかの関係がある。
それゆえ、「新対策」が議論されている現在、慎重であれねばならない。「アイデンティティ」に関し、抑圧的にならないよう、慎重であれねばならない。
HDPに対する措置が、彼らにどう影響するかをよく計算し、斟酌しなくてはならない。
クルド・アイデンティティの底部にある(国家への)不信感を増す方向ではなく、信頼を増すことを目指したアプローチを前面にだせなくてはならない。

何かを書き、何かを発言するとき、東部・南東部に向けた法律をつくるとき、彼らの感じる痛みと要求に、より注意深くあらねばならない。
自分を少しでもクルド人の身においてみなくてはならない。つまり、よく言われる「共感」を、少しでも本当にやってみなくてならない。
それが容易ではないことが、よくわかっているが。

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:40091 )