EU・トルコ合意後も続く、エーゲ海渡航の波
2016年03月21日付 Hurriyet紙

EUとトルコは、3月20日以降に密航した難民たちの返還問題について合意した。しかしこれが、エーゲ海での密航者数の減少に効果があるようには思えない。3月20日から24時間後に我々はチェシュメ海岸に向かった。

トルコは3月20日以降にギリシア諸島に向かったすべての違法な難民たちで、トルコから渡航した場合、トルコに返還される。関係者たちは、3月20日から密航者の特定を開始し、4月4日からは、トルコは一人の難民をギリシアから受け入れるごとに、一人のシリア人をヨーロッパに送ることができる難民交換システムを始めると説明した。しかし合意条項にもかかわらず、難民たちはギリシアに行くことをあきらめていない。チェシュメ海岸での密航の準備を全速力で行なっているところだ。

3月20日から24時間後、チェシュメ海岸に向かった。難民たちは冬最後の夜を過ごし、まるで難民キャンプのような状態になっている、チフトリキキョイの低木が広がる一帯で、密航のときを待っている。夕暮れが近くなると、密航するものたちはホテルから、3~4時間歩いた後、最初のポイントとなる場所に集まり、そこで準備を行う。母親と共に隠れた場所で静かに語った、ファトマさんの実体験は興味深い。

彼女はアフガニスタンの首都カーブルで法律を学んだ。先週2人の兄の乗ったボートはサクズに到着することに成功したが、少しするとボートにいたファトマさんと彼女の母は沿岸警備隊員たちによって捕えられ、連れ戻された。ファトマさんは兄弟たちはギリシアの沿岸で彼女たちを待っていると話してくれた。

「海は恐ろしく、いやだったが、他にチャンスは残ってなかった。EUトルコ合意で、送還されることについて知っているが、ヨーロッパにいる親類たちは全員ではなく、種々の理由や特徴で判断され送還されると話していた。トルコが、アフガニスタン人に労働許可を与え、滞在できる状況を整えていたら、ギリシアにいくことなど望まなかった。イスタンブルで暮らすことを望んでいただろう。」

■月明かりの下、身を隠す

少しして日が落ち始めると、電話が鳴り出した。電話の声は、密航業者たちのものだ。その晩海に出るのに適した沿岸を説明し、その場所を共有した。子供たちを抱きかかえ、鞄を背負って、もう一方の手には救命胴衣の入った暗いポシェットを持つ。月明かりの下、長時間の徒歩での移動が始まった。山、岩、丘、小道、茂み。 3時間半もの間、何キロにも及ぶ道のりを歩く。我々も彼らの後をついていく。小さながけの下の海岸に下りた。ボートが膨らませられ、準備が整った後ボートに乗せられる。男性は端に、女性と子供は皆中央に。30分が経過した頃、月明かりでうっすら見えていたボートは、少しすると完全に姿を隠した。数時間後ファトマから携帯ににメッセージが届いた。「到着した。兄弟たちとの待ち合わせ場所に向かっている。」

■14人のトルコ人監督者

EUトルコ合意の後、ギリシア諸島に渡航した難民たちの返還に関しての任務のため、前日将官を含む6人のトルコ人監督者がイズ ミルのチェシュメ市からサクズ島に、昨日も8人のトルコ人監督者がミディッリ島に入った。3月20日以降ギリシア諸島に到達した難民たちがトルコにいつ返還されるのか、ということについてギリシアから説明はなされていない。

■危険にさらされている

待機場所で話をしてくれたジェバットさんは、アフガニスタンでは軍人だったこと、長い間収監されていたことを話し、こう続ける。「世界はシリア人に対し扉を開いた。しかし誰もアフガニスタン人の身に起きていることを知ろうとしない。我々を望んでいないと言われているのだ。ここでも危険にさらされている。我々を返還するということは、死に向かわされているようなものだ。それはこの世界にとって大きな人類の恥である。」

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(翻訳者:田中浩太郎 )
(記事ID:40102)