レイハンル事件の首謀者、死亡?―シリア・アサド政権側指揮官
2016年03月29日付 Hurriyet紙


AA通信の報道によると、シリア内戦でアサド政権に奉仕した民兵組織の司令官であり、(トルコの)ハタイ県レイハンル郡で2013年に発生した爆破テロの容疑者であるミフラチ・ウラルが、反体制派の攻撃により死亡したと見られる。

AA通信の取材に対し、アフラル・シャムのスポークスマンであるエブ・ユスフ・エル・ムハジルは、体制派が非常に活発であったラタキアで一時期偵察を続けた結果として、体制派が所有する軍用車の車列を今日(3月30日)攻撃したことを明らかにした。

ムハジルは、次のように述べた。
「『預言者ユヌスの丘』を通過する体制派の車列を大砲で爆破した。間もなく救急車が到着した。2時間後、ラタキアの本部の情報筋から、体制派の人間やロシアの士官数人、アリ・ケイヤリことミフラチ・ウラルが死亡したとの報せが届いた。」

■ロシアが援助
アサド政権に奉仕する民兵組織(シェビッハ)の司令官ウラルの名は、トルコのハタイ県ヤイラダウ郡と隣接しトルクメン人が多く住むシリアのラタキア県バユルブジャク地域での活動で知られている。

バユルブジャク地域は、「バユル(丘)」と呼ばれる一帯のチュルクメンダウ(山)と、「ブジャク(辺境)」と呼ばれる野原から成る。この歴史的なトルクメン人の居住地は、バアス政権によってラタキア県のラビア郡、カスタル郡、アイン・アル・ベイダ郡に分割された。

チュルクメンダウ(山)を拠点とする反体制派を標的とした、ウラルの民兵組織および他の体制派勢力による攻撃は、ロシアが内戦に参加した2015年9月30日以降、空軍の支援を受け激化した。
チュルクメンダウ地域では、それまでトルクメン人の複数の組織から成る反体制派武装勢力が有力であったが、これで体制派の有利に転じた。
この地域の平野部分を支配していたアサド政権派の民兵組織は、チュルクメンダウをも支配下に置いた。
ハタイ県ヤイラダウ国境ゲートの向かいのケセブや海岸沿いのバスィトといった村々がある平野部は、ウラルが率いる「シリア抵抗組織(Mukaveme Suriye)」が支配していた。

■アサド家に仕えた34年
1956年トルコのアンタキヤ県に生まれたウラルは、違法組織活動のためトルコで逮捕され、1982年にシリアへ逃亡した。
ウラルは、妻のマラク・ファデルがアサド家の親戚であったことから、当時の大統領ハーフィズ・アサドの兄弟ジェミル(ジャミル)・アサドと親密な関係を築いた。こうしてウラルは特権によりシリアでの地位を確立した。ハタイ県サマンダウ郡をはじめとする国境地帯で、シリア政府への支持を集めるため活動した。

ウラルは「アラブの春」やシリアでの市民運動が始まると、2012年初め、法学派を基盤に活動していた組織「イスケンデルン地方解放のための民衆戦線‐シリアの抵抗」を扇動した。

同じ年、息子のベドレッティン・イブラヒム・ウラルも少尉としてシリア軍に入った。
民兵を従え、ラタキアのケセブ、バスィトを支配下に置いたウラルの名は、2013年5月3日、海岸沿いのスンナ派の村バンヤスとベイダでの虐殺で報道された。この事件では女性と子どもが大部分を占める少なくとも150人が殺害された。

ウラルは、ハタイ県レイハンル郡で2013年5月11日に52人のトルコ人が死亡した爆破テロにも関与した。事件を捜査したアダナ共和国検察庁の起訴状には、ミフラチ・ウラルの事件はシリア諜報部によって計画された疑いがあり、テロに自ら加わった容疑者5人はシリアに潜伏していると記されていた。

シリア抵抗組織の指導者であるウラルは、1970年に作られた「トルコ人民救済党戦線(THKP-C)」の離脱者らから成る「THKPC/Acilciler」の設立者の一人である。ウラルは長年、Acilcilerグループの指導者の一人であった。

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(翻訳者:篁 日向子)
(記事ID:40172)