ディヤルバクル城壁内再建へ、首相10の公約
2016年04月02日付 Hurriyet 紙


アフメト・ダヴトオール首相は、激しい衝突と外出禁止令の後に再建プロジェクトが始まったディヤルバクルのスル郡(ディヤルバクル旧市街)において、「世界の見本となる街になる。 スルは我々の名誉であり、必ずや再建する」と述べた。ダヴトオール首相は、ウル・モスクで金曜礼拝を行い、その後モスク前に集まった人々に対し、歴史あるハサン・パシャ・ハンで会見を行った。

(上略)

■スル計画

アフメト・ダヴトオール首相は、10の条項からなるスル計画を以下のようにまとめた。

1. UNESCO世界遺産の枠組みのもと、ディヤルバクルの城壁が保護される
2. ヘヴセル畑も保護される、またその名を世界に広める
3. ウル・モスクやその周辺地域、ハサン・パシャ・ハンを含め信仰ツーリズムの場とする
4.内城と聖スレイマン(ソロモン)周辺が保護される。教会とモスクと共に、見本となるような、歴史ある場となる
5. ファーティヒ・パシャ・モスク、4つ足のミナレット(シェイフ・ムタッハル・モスク)、ウル・モスクと内城との間にある街区が再建される
6. ガーズィー通り上にある建物が再建される
7. 商店の損傷を取り除くべく、無利子融資を含めあらゆる方法で修復に取り組む
8. [再建の際に]真のディヤルバクル建築となるよう注力する
9. ディジレ渓谷プロジェクトに伴い、ディヤルバクルは息を吹き返す
10. アリ・エミリの名を冠した図書館が建設される

■ようこそ、セロク・アフメト

首相の訪問前に爆破攻撃が起こったディヤルバクルでは、厳重な警戒態勢が敷かれた。ダヴトオール首相が空港から(市内に向けて)出発する際には、警官らが芝生を確かめ地雷捜索を行っており、注意を引いた。首相は、「ようこそ、セロク・アフメト。私たちは、城壁のように真っすぐ立っています」というプラカードで出迎えられた(注:セロク・アフメトとは、ダヴトオール首相のクルド語での呼び方)。また首相がウル・モスクに向かう際には、トルコ国旗が掲げられた。首相の訪問のためにディヤルバクルでは3つの出入り口が用意され、スル郡では住民一人一人が調べられ一時的に退去し、(首相の通り道とされた)安全地帯に住民が入ることは禁じられた。金曜礼拝を行うウル・モスク周辺の建物には狙撃手らが配置された。スル郡内の外出禁止令が発動していない通りの出入り口においても、警官がバリケードを作って道を閉鎖した。

ダヴトオール首相は礼拝の後、ガーズィー通りにおいて住民らと挨拶を交わしたのち、歴史あるハサン・パシャ・ハンへと向かった。ハサン・パシャ・ハンは安全対策のために前々日夕刻より閉鎖されていた。ハン内部の商店も前日から休業していた。リスト上に名前のあるおよそ250名の人々は、厳重なチェックの後にハンに入ることを許された。

首相の訪問前に衝突が激しさを増したスル郡では、郡内にあった砂袋などが撤去され、清掃が行われた。衝突が発生した小道の出入り口は、白いカンバスで覆われた。

■9名の大臣が随行

ダヴトオール首相は、妻であるサーレ・ダヴトオール氏とヌマン・クルトゥルムシュ副首相、スレイマン・ソイル労働社会保障大臣、エフカン・アラ内務大臣、 ナーヴィ・アブジュ国民教育大臣、メフメト・ミュエッズィンオウル保健大臣、ビナリ・ユルドゥルム運輸海事通信大臣らと共にディヤルバクルを訪問した。 ディヤルバクルでは、ジェヴデト・ユルマズ開発大臣、マヒル・ウナル文化観光大臣、ファトマ・ギュルデメト・サル環境都市整備大臣らが首相たちを迎えた。 首相の訪問に伴い、ディヤルバクルでは広範囲にわたる警備態勢が敷かれた。

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( 翻訳者:木全朋恵 )
( 記事ID:40185 )