アンザリー湿原の再生に尽力する日本(1)
2016年04月13日付 Iran 紙

駐イランJICA上級代表「アンザリー浚渫事業には環境アセスメントが必要」

【イラン紙10面:モジュガーン・ジャムシーディー】

 湿原には自浄能力があり、ちょっとやそっとの汚染や破壊に屈するようなことはないとはよく言われることだが、しかしついに「アンザリー国際湿原」も〔単なる〕「アンザリー湿原」になるときがきたのだ!アンザリー湿原、それは滅び行く我が国の湿原の最後の生き残りの一つなのである。

 マルコポーロが「イランの緑のベニス」と呼び、ヨーロッパへの門として言及したアンザリー湿原が、再生への希望がほとんどもてないような災厄に見舞われるようになって、すでに30年以上がたつ。イラン国民の集合的記憶では「アンザリー・ラグーン」の名と、数万種ものよく知られた湿原固有の鳥たちやチューリップで知られた湿原も、今や大量のごみと汚水に埋もれてしまっているのである。

 湿原の真中に道路を建設して湿原を分断させる事業は、この湿原に数万トンもの土砂を持ち込むことになり、これが70年代[1991年~]の終り以降、この湿原へのさらなる、そして最後の一撃となった。「アカウキクサ」や「ホテイアオイ」といった外来種の侵入が、この湿原に暮らす生き物たちの命を脅かすようになってすでに何年にもなるが、しかし湿原の南部から数年前に始まった湿原の乾燥化は信じられないようなスピードで進み、今や湿原への弔鐘を鳴らすまでになっている。

 今や鳥たちに代わって、重機が湿原を行き来している。信じがたいことだが、アンザリーにさえも水がないのだ。場所によってはかつて6mもあった湿原の水深が、今では1m以下だ。「サルケ野生生物保護区」の名で知られた湿原の南部地域はほとんどが干上がってしまっているのである!にもかかわらず、皆の関心は、ウルミエ湖と同湖への水の供給にばかり向けられている。

 けれども日本人たちは、私たちよりもずっと前に、「イランの緑のベニス」の再生を支援する用意があることを表明していた。そして今、第9期および第10期政権[※2005年から2013年の第一次、および第二次アフマディーネジャード政権]が日本国際協力機構(JICA)の事業にもたらした長期間の中断を経て、彼らは2014年からアンザリーでの事業を再開させたのである。2005年から2019年まで、約4,500億トマーン[約150億円]の支援をイランに提供することを決めた彼らのアンザリーでの主な目的はただ一つ、利害関係者全員の参加による、湿原の一元管理体制をつくることだ。

つづく


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( 翻訳者:PM )
( 記事ID:40300 )