次の標的は外国人記者―トルコの報道危機
2016年04月30日付 Cumhuriyet 紙

国内のメディアの多くの新聞記者は裁判所の門を摩耗させ続けるよう。ついに外国人にもこの「自由」を共有している。先週、アメリカ人記者デヴィッド・レペスカ氏が入国の許可を与えられず、ギリシャ人カメラマンのリビア行きやロシア人記者のトルコ入国が禁止された。

色とりどりの世界地図を思い浮かべてください。白、黄色、赤、黒の国々……色が濃くなるにつれて自由が制限されている。色分けはこのような感じだ。トルコの色は赤、西部は黄色から白で、東部は黒から赤だ。

国境なき記者団(RSF)の今年の報道自由ランキング地図はこうだ。トルコは180の国の中で151番目である。実際誰も、すでにフィンランドやノルウェー、オランダと張り合うようなどと期待していない。我々の想像には(残念ながら)国境がある。しかしこれらの土地で育ったある記者を悩ませている。我々はアフガニスタンやウガンダ、イスラエル、パレスチナ、ロシア、マリの同業者らよりさらに惨め、つまり無力なのか?そう、地図はそう言っている。その直後にもあるレポートがさらに発表されている。こちらはフリーダム・ハウスから。点数が1つずつ付けられ、トルコは落第だ。「メディアの状況:自由ではない」とされた。

■33人の記者が逮捕

与党の政治家たちによるとこのような報告書は現実を反映していないという。トルコにおけるメディアは他に類を見ないくらい自由である、と言っている。しかし一方で、新聞社が閉鎖されて、所有者が変えられ、広告を取ることができず、給料を支払えず、テレビ・チャンネルを取り上げられ、経営陣が代わり、何百人もの新聞記者が失業し、攻撃されて、裁判にかけられ、収監されている。いくつかの数字を見てみよう。被拘束記者連帯プラットフォームの最新のデータによると、トルコでは現在33人の記者が拘束されている。このうちかなりの部分は、戦闘地域で報道を行うディジレ通信社の記者たちだ。さらに新しいこととして、この新聞のコラムニストが2年間の懲役刑を科された。2人の責任者はまだスパイ行為について裁判にかけられている。その他の新聞の他の記者たちは常に裁判所の門を侵食している。同時に大統領への行動の主張によって少なくとも1845人に起訴の許可が出た。ただ公平に言うとこれらの全てが「ジャーナリズムについて裁判にかけられているのではない」。漫画家もいればアーティストや13歳の子供もいる。

■「ああBBC、CNN、ロイター…」

リストは伸びている。もはやトルコの地も越え、トルコ国境に入らずあふれ出た「報道の自由」の理解が支配的だ。トルコは今日、ドイツからアメリカに至るまでユーモア番組の題材となっている、国境を越え表現の自由の訴訟を開いている、そしていくつかの在外公館から発表された内部告発の呼びかけについて非難されたような国だ。「ああBBC、CNN、ロイター…」と始まる言葉がもはや使い古されたこの地で、国内報道機関で働く記者らだけではなく、外国人記者も――実際、いわば――「危険に晒されている」のだ。

■「行ったら戻れないことがある」

政府は、これらの記者の一部が「安全上のリスク」を作り出していること、一部はプレスカードを持っていないこと、「法的手続き」の必要性を国に通していないこと、また「禁止新聞記者リスト」はないこと述べている。外国人記者の前では、不安な雰囲気の増加に言及することができる。すでに認定証の延長に関して最近徐々に増えている問題が起こる一方、さらに現在別の理由で閉めだされる恐れを抱いている。この1週間の出来事の影響によって間違いなく「行って戻れないことがある」という心配を抱いている人もいる。報道各社は、政府が国内メディアをすでにある形でコントロール下においており、編集者としてコントロールできない外国紙も同様の形で妨害しようとしていると考えている。政府はこのような主張をきっぱりと否定している。

■スルから記事を書いた

デヴィッド・レペスカ氏は、今週トルコに戻れない外国人記者の1人だ。ガーディアン紙、アル・ジャズィーラ紙、アトランティック誌、ナショナル誌、フォーリン・アフェアーズ誌といった多くの国際的なメディアで彼の記事が発表されている。さらにこのような記者としての活動以外にも、世界銀行で編集職についている。レペスカ氏のツイッターアカウントのトップには、ガーディアン紙にディヤルバクルのスル地区から2月に書いた記事のリンクが固定されている。レペスカ氏は現在シカゴにいる。我々の質問への答えとして、次のように述べている。「トルコ政府から来る最終決定を空港で待つことはできないと言われました。約20時間決定が出ませんでした。私は雇い主やアドバイザーの勧めでトルコを離れることを決めました。なぜ私のトルコへの入国許可が出されなかったのか説明はありませんでした。しかしこれが私の行った報道に関係していると考えています。」

■「もっとも困難な決定」

政府担当者らは、レペスカ氏がプレスカードを持っておらず、世界銀行での仕事に関して働く許可を持っているが、この許可は記者としての活動を含んでいないと述べている。しかし、それでは政府は何故何年もの間自由な報道活動を行っていたこの人物を今になって妨害するのか?3年間トルコで行った報道を理由として一度も警告を受けたことがなかったレペスカ氏が何故今入国できないのか?何故今条件が硬化されたのか?それはわからない。

「その飛行機に乗ることは人生で決めた最も困難な決定の1つでした。すべての生活を残してきました」とレペスカ氏は言う。彼は彼の望みも付け加えた。「イスタンブルの隅々までを愛しています。私に『ようこそ』と言うどころか正反対の態度だったとはいえ、トルコのこともまだ愛しています。滞在していた場所で生活を続けることができるよう望んでいます。」

新聞記者であり、かつては「もてなし」を誇っていた国の市民として私にできるのは、ただこれらのことをこの記事に記し、「できれば近いうちにイスタンブルで会いましょう、デヴィッド」と言うことだけだ。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:40372 )