ドイツ議会、「アルメニア虐殺法案」可決
2016年06月02日付 Cumhuriyet 紙

ドイツ連邦議会で「1915-1916年の間にオスマン帝国でアルメニア人とその他キリスト教マイノリティに対し行われたジェノサイドの記憶と言及」法案が可決された。ドイツは、1915年の事件を「アルメニア人ジェノサイド」だと述べた。

ドイツ連邦議会で1915年の事件を「ジェノサイド」だと断じる法案が可決された。投票ではわずかに議員一人が棄権、別の一人が反対票を投じただけだった。法案はドイツ議会の4党一致で可決。与野党一致による法案可決はドイツ史上初だ。

与党ドイツキリスト教民主連盟(CDU/CSU)と野党緑の党は、「1915-1916年の間にオスマン帝国でアルメニア人とその他キリスト教マイノリティに対し行われたジェノサイドの記憶と言及」と題する決議案を承認した。

■メルケル首相から初の声明

アンゲラ・メルケル・ドイツ首相は「ドイツとトルコの関係は強固だ」との声明を出した。
草案ではタイトルのほか、別の2か所にも「ジェノサイド」という言葉が使われている。キリスト教民主連盟、ドイツ社会民主党会派の声明やドイツメディアでのニュースでは、この投票において議会議員らによる法案を覆すような『造反』は予想されていなかったと述べた。 
メルケル首相、ジグマール・ガブリエル副首相、フランク‐ヴァルター・シュタインマイヤー外相は、スケジュールの関係上投票には参加しなかった。

■法案の内容は?

「ドイツ議会は、オスマン帝国でアルメニア人とその他キリスト教徒マイノリティに対して100年前の一時期に始まった、追放と虐殺の犠牲者の記憶に黙祷を捧げる」との文章で、次のように述べられている。
「1915年4月24日オスマン帝国コンスタンチノープルで、当時の統一派政権の指示によって100万人以上のアルメニア民族に対し組織的な追放と虐殺が始まった。彼らの運命は、20世紀が経験した恐るべき大量殲滅や民族浄化、追放、さらにはジェノサイドの一例である。」
文章では、オスマン帝国の同盟国・ドイツ帝国が果たした役割について「恥ずべきこと」との表現を用い、ドイツの外交指導者や外交官がはっきりと警告して いたにもかかわらず、ドイツが当時この人道的な犯罪を抑止しようとしなかったことに注目している。また、議会に提出された法案では、オスマン帝国の アッシリア人やシリア人、カルデア人といったキリスト教徒マイノリティにもジェノサイドが及んだと主張している。
ジェノサイドだとする主張をドイツの学校のカリキュラムに組み込み、将来世代にわたり語り継ぐべきだとし、それがドイツ在住のトルコ系、アルメニア系の調和に資すると述べている。また、ドイツ政府がアルメニア・トルコ間の融和に向け努力し、支援するよう求めている。

■アンカラの反応

トルコは、今日ドイツ議会で可決されるアルメニア人虐殺法案の前、ドイツに対する反発のトーンを下げている。トルコ政府は可決される見通しの決議後も駐ベルリン大使を召還せず、ジェノサイド否定論を擁護、主張することも考えている。

■予想される選択

トルコは、ジェノサイドだとする決議に対しては強く反発する声明を出し、さらには外交文書も発してきた。また、一部諸国からは大使を召還してきた。この「召還」 方式がドイツに対しても実施されるような状況下、トルコはアヴニ・カルスルオール在ドイツ大使を協議のため呼び戻し、ドイツのマルティン・エルドマン在トルコ大使を外務省に呼び出してドイツに外交文書を手渡すことも考えられると伝えられる。ただし、在ロシア、ベルギー大使が召還されなかった例はある。

■難民を取引には使わない

法案が可決される状況で、トルコが難民引受協定の破棄を検討しているとも言われる中、情報筋は「移民・難民問題は別の問題だ」と述べ、そうした不安は杞憂だと強調した。

■24か国が虐殺を承認

1915年の事件をジェノサイドだと認める国は、世界で24か国。欧州委員会や欧州議会も虐殺を認めている。米国の42の州では、虐殺法案が州議会で可決。米国政府は1915年の事件を虐殺と表現する代わりに、アルメニア語で「大きな災厄」の意味である“Meds Yeghern”との表現を用いている。虐殺法案を可決したその他の国々は以下の通り。ウルグアイ(1965年)、南キプロス(1982年)、アルゼンチ ン(1993年)、ロシア(1995年)、カナダ(1996年)、ギリシャ(1996年)、レバノン(1997年)、ベルギー(1998年)、スウェーデ ン(2000年)、イタリア(2000年)バチカン(2000年)、フランス(2001年)、スイス(2003年)、スロバキア(2004年)、オランダ (2004年)、ドイツ(2005年)、ベネズエラ(2005年)、リトアニア(2005年)、ポーランド(2005年)、チリ(2007年)、ボリビア (2014年)、チェコ共和国(2015年)、オーストリア(2015年)、シリア(2015年)。 

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( 翻訳者:貝瀬雅典 )
( 記事ID:40612 )