独「アルメニア虐殺法案」承認へトルコ、反発
2016年06月02日付 Hurriyet紙

外務省は、ドイツ連邦議会で1915年の事件に関するアルメニアの主張への決議草案が承認されたことを批判し、「ドイツ連邦議会が 2016年6月2日に下した決定は、前述した機関の尊厳の観点から、恥ずべきものである。アルメニアの説明をまぎれもない事実のように主張しようとする、 無知で法律を尊重しないお手本のような決定だ。この偏見的で理性的でない政治は、真面目に自己批判をする必要がある。トルコがドイツ連邦会議から学ぶことは何もない」と述べた。

外務省の発表では以下のように述べられた。
「合法的な議題である欧州法の判例に入る1915年の事件についてドイツ連邦議会が2016年6月2日に下した決定は、前述した機関の尊厳の観点から、恥ずべきものである。歴史を政治化し、過去を自由に語らせないというタブーを犯したアルメニアの説明をまぎれもない事実のように主張しようとする、無知で法律を尊重しないお手本のようなこの決定にサインした者たちへ、次のことをもう一度思い出させたい。」

■対話は、共感と公正な視点によって可能である。

1915年の事件に関する理解の不一致から和解へ至ることは、対話と共感、そして公正な視点によって可能である。この理解によって、トルコはオスマン帝国のアルメニア人たちの苦しみを共有し記憶を引き継ぐことに努め、アルメニアの文化財を守り、隣接する2つの民族の間に和解の道をひらくための重要なステップを踏んでいる。トルコがドイツ連邦議会から学ぶようなことは1つもない。ドイツ連邦議会がオスマン帝国崩壊の時期の出来事を知りたいと思っているなら、2005年以来我々がしつこく主張してきた、自由で全ての人にオープンな、科学的基礎に基づいて研究が行われる歴史共同委員会の設立に貢献していただきたい。

■先入観にとらわれた一方的な見方を形成している

自由を多くの分野で簡単に行使できるドイツでは、1915年の事件に関して一面的かつ抑圧的な状況がある。1915年に何があったのかを理解し説明する代わりに、アルメニアの説明を形づけるために、この国で長年行われてきた研究によって生み出された多くの本、ドキュメンタリー映画は、ドイツの世論において先入 観にとらわれた一方的な見方を形成している。

■人種差別、トルコ人とイスラム教への反発、傲慢で日和見主義な政治家たち

この政治の背後に横たわる原因の中には、人種差別へとつながるトルコ人とイスラム教への反発、現在の国内外の政治情勢、傲慢で日和見主義な何人かの政治家 たち、ドイツのナミビアからホロコーストに至る人道に反する犯罪とジェノサイドの記録が生み出した深いトラウマがあるのだ。

■トルコ系ドイツ国民を…

さらに悪いことに、ドイツのこの試みは、政治、経済、社会的で文化的な生活に重要な貢献をしたトルコ人とトルコ系ドイツ国民を歴史と自己のアイデンティティーから遠ざけ、同化しようとしている。

■あらゆる手段を使い抵抗されるであろうことは疑いようがない

このため、アルメニアの説明を教育的手段により若い世代に浸透させようとする試みは懸念される事柄である。ドイツで暮らすトルコ人の子供が歴史の授業で良い成績をとるために、信じていない、正しくないことを知っている(アルメニアの)説明を擁護することを望むことや、このような教育的理解は民主主義の国に似つかわしくないのと同様に、同化政策の助けとはならないだろう。この主張に対して法律的手段も含む、あらゆる手段を使って抵抗されることは疑いの余地がない。

■真面目に自己批判をする必要がある

ドイツが101年前に経験した歴史的な一件を政治化しないこと、公正で客観的であることは、自身もその一部である欧州の法律の要請である。欧州人権裁判所の、この件でのアルメニアの説明が絶対的な事実ではないことに、そして自由に議論されることができることに、アルメニアの説明を疑問に思う 意見が表現の自由により守られることに、1915年の事件とホロコーストの間に類似性を見つけることができないことに関する法的拘束力のある決定を我々は もう一度思い起こしたい。
ドイツ連邦議会が、歴史を自分たちが知っているように解釈する一方で、法律をまったく無視することは心配である。この偏見的で理性のない政治は真面目に 自己批判をする必要がある。ドイツの世論が、トルコ人の意見に、記憶の継承に、そして和解に向けた誠実な努力を尊重することは、民主主義と人権が要請するものである。

■ドイツが重大な意見と我々の敏感さに注意することを期待している

同盟関係であり、ヨーロッパの未来のために親密に我々が協力しているドイツが、1つには2国間の関係の、もう1つにはトルコ―ヨーロッパ間の関係の未来のために重大な意見と我々の敏感さに注意することを期待している。」

これらの条件下で、トルコのベルリン大使ヒュセイン・アヴニ・カルスルオール氏は協議のためトルコへ呼ばれた。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


(翻訳者:福永千夏 )
(記事ID:40614)