ターリバーン内の権力の危機、続く(2)
2016年05月23日付 Iran 紙

 ムッラー・マンスールはターリバーンの指導者としての地位に就くために、新指導者として一部の指揮官たちの支持を得ていた(とはいえ26歳と年齢が若いために経験が著しく乏しいという印象だった)、ムッラー・オマルの息子ムッラー・ヤアクーブを排除することに成功した。

 〔とはいえ〕ムッラー・マンスールから1年以上もの間、ムッラー・オマルの死について騙され続けたと考えたターリバーンの一部のメンバーらは、彼に不満を抱いていたし、後継者指名についての必要な手順を守らなかったとして、彼を非難するメンバーもいた。

 またムッラー・マンスールは、ターリバーンからムッラー・オマルと同様、「信徒らの指導者」の称号を得ていたものの、ムッラー・オマルほどの宗教的権威を享受することはなかった。そのため当初、彼はターリバーンを一つにまとめ上げるのに大きな課題に直面した。しかしアナリストらによると、ムッラー・マンスールは急速に自身の権威を固め、反抗心の強い司令官たちの支持を取りつけたり、服従を拒否するグループを抑え込んだり、不満分子を取り締まったりすることで、自身の指導に異を唱える者たちを排除していったとされる。

 昨年の夏、各メディアはパキスタンにいるターリバーン司令官らとの武力衝突によって、ムッラー・マンスールが重傷を負ったと報じたが、ターリバーンは彼のものであるとされる音声メッセージを公表することで、武力衝突に関する一切の報道を強く否定し、そうした報道は敵のプロパガンダだとする見方を示した。

 ムッラー・マンスールがターリバーン指導者の地位に就いてからの最近の10ヵ月間、アフガニスタンの様々な都市や同国の政府勢力・軍部隊に対するターリバーンの攻撃の規模および数は、目に見えて増大した。例えば、昨年の9月にターリバーンは短期間、北の戦略都市であるクンドゥーズを占領している。この占領は短期間のものではあったが、しかしターリバーンにとって〔ターリバーン体制崩壊以降の〕過去15年間で最大の勝利とみなされるものであった。ここ最近も、ムッラー・マンスールは支持者らにメッセージを送り、ターリバーンによる毎年恒例の「春の進撃」での「大攻勢」に向けて、準備を整えるよう呼びかけていた。

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( 翻訳者:MSK )
( 記事ID:40685 )