ダーイシュ、監獄、学校、モスクの児童を徴兵。児童を被害者から加害者へ①
2016年06月17日付 al-Hayat 紙


■ダーイシュは刑務所や学校、モスクから子どもを徴用し……犠牲者から殺人者に変えた

【モスル:ムハンマド・アワード】

「ダーイシュ」〔訳者注:ISIS/ISILのアラビア語略称〕の旗を掲げた白色の車が、モスル市の西部に位置するマターヒン地区に入ってきた。そして車は住民でごった返す狭い小路の真ん中で止まった。武装した3人組が車から降り、ファラーフ・ウバイドの家へと向かい、家の扉をノックした。「ご主人、おめでとう。」3人のうちの1人、髭を生やした巨漢が家の主人の肩を右手でポンと叩いて言った。「ご子息があなたの顔を立てることになるでしょう。まだ計画されていませんが、アッラーがお望みになるならば、ご子息は次回の作戦で殉教し、世界の主の許であなたのためにとりなしをしてくれるでしょう。」

静寂がその地を覆った。小路に集まっていた人々は、お互いに顔を見合わせ、姿を消した。視線を落とした父親が家の中庭に入っていき、少しして母親と兄弟たちが家の中で悲鳴を上げた。このような方法で、ダーイシュは2015年9月中旬にサーリム・ファラーフ・ウバイドの死亡を告げた。これはサーリム家の隣人の1人のアブドゥッラーによる証言である。

16歳であったサーリムは初等教育を終えていなかった。彼は、農作物に打撃を与えた旱魃の影響で2009年にスィンジャールからモスルの貧困地区に逃れてきた家族の5番目の息子である。ダーイシュがニーナワー県を掌握する〔2014年6月〕前、サーリムは父親の知人が所有するプラスティック用品を作る小さな工場で働いていた。工場のオーナーは彼について次のように語った。「彼は少年らしく、勤勉で、礼儀正しかった。声が小さく、性格は内気だった。しかし彼の振る舞いや容姿は変わり始め、顎鬚を蓄えるようになった。」

2014年の終わり、サーリムは工場での仕事を辞めた。彼は髪を伸ばし、アフガニスタンの伝統衣装として知られる服を身に纏うようになった。そして、イスラーム警察と呼ばれる組織を通じて、市内の任務を担うようになった。「彼は私たちの許をしばしば訪れるようになったが、挨拶をするだけでそれ以上はなかった」と先の工場オーナーは続けた。

(後略)

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( 翻訳者:田中大輔 )
( 記事ID:40787 )