アフリカ系トルコ人、そのルーツをさぐる
2016年07月03日付 Hurriyet紙


第1世代は(それを)自ら経験し、第2世代は否定し、第3世代は調査している……彼らは、オスマン帝国で生まれ故郷から連れてこられて奴隷にされたアフリカ人の子孫だ。彼らはついに声を上げ始めた。「オスマン帝国に奴隷制があったことが認められるべきだ」と言い、向き合うことを望んでいる。

新聞記者のアレヴ・カラカルタルさんの黒人の父方はスーダンから連れてこられた。母親は白人だ。彼は、「私たちは3世代に渡ってイスタンブルっ子です」と話し始めた。「私たちは、アフリカから連れてこられ、宮廷やその周辺で奴隷にされた家族の子孫です。」

カラカルタルさんは、オスマン時代に最も盛んに奴隷貿易が行われていたのは1700年から1800年だと説明する。「毎年何千人もの人々が奴隷市場から宮廷や裕福な家に分配されました。最初の仕事はムスリムにされることで、名前を変えられ、トルコ語を教えられ、自分の言語や伝統を消し去りました。彼らは自分たちの文化をささやいて存続させようとしました。共和国以降、奴隷は市民となったものの、奴隷制は1960年代まで家人育成システムとして続きました。その後も数世代に渡って奴隷として家事手伝いや子守、性労働者や農業労働者であったこの社会はそのままの状態で放置されました。アフリカ系のトルコ人たちは、1970年代の大都市でようやく職を持てるようになりました。」

■推定人口は2万5千人

アフリカ人文化相互扶助協会のムスタファ・オルオアク会長は、その数は約2万~2万5000人ほどであると推定されると述べている。カラカルタルさんはこの不明確さを次のように説明している。「数えられたことがないからです!異なる人種間の結婚もありました。 解放された後エーゲ海周辺に残された人々は田舎で自分を守ろうとしました。周囲に溶け込みました。ムスリムにされ、トルコ人の名前を使い、トルコ人のような衣服を着、しかし濃い肌のこのコミュニティに関する『彼らは何者か』という問いには『アラブ人だ』と答えました。『アラブ人』と言われることの理由の1つはこれです。さらに、奴隷貿易のルートの1つはアラビア半島を経由しています。メッカ巡礼に行った人々は、証拠として奴隷を連れて帰りました。」

■「タブーにさえならなかった」

第3世代はついに声を上げ始めた。「オスマン帝国の奴隷制の歴史は知られていません。私たちは、『ムスリム社会に奴隷制はない』という人々と相対しています。歴史書に私たちはいません。だれも私たちのことを知りません。『オスマン帝国の奴隷制』というテーマはアルメニア人やクルド人の問題のような『タブー』にすらなれませんでした!完全にないものとされました。私たちは向き合うことを望んでいます。私たちはこの国で生まれ育った者です。少なくとも謝罪がなされますよう。」

■我々は他者の他者

では、彼らは各都市でどのように受け入れられたのか?カラカルタルさんは、その試みを次のように説明した。「一種の『エキゾチックな果物』のような扱いを受けています。『なんて上手なトルコ語を話すのでしょう』と言われます。当然です、この国の人間ですから!私にそのような質問をする人よりも私の方がイスタンブルっ子ですが、それを説明することはできなせん。彼らはいつも私たちの髪や鼻、胴に触れてきます。私たちは触れられることを望んでいません。一部の政治家たちは自分たちの不当な扱いを説明するために『我々は黒人トルコ人だ』と言います。最下層にいるということが、人種、それも黒人にたとえられることを、私たちは不快に思っています。この国で暮らし、常に『黒人』と言われながら他者化された人々はまったく考えられていません。私たちは他者の他者です。」

■父は「黒海出身です」と言っていた

10年間イスタンブルでモデルと役者をしているクヴァンチュ・ドウさんにとって過去を明らかにするのは簡単なことではなかった。「父は真っ黒な肌の男性でしたが問われると『黒海の出身だ』と言っていました。私は圧力を受けて大学を辞めました。コジャエリである女性が私を示して『見てはだめよ、あれは悪魔よ』と言いました。私たちはオスマン帝国の政策の結果他のグループのようにトルコに連れてこられました。歴史を変えることはできませんが、教えることはできます。」

■「文書の開放を」

ギュルシャフ・ギョゼクさんは母方がアフリカ出身であることを大学で知ることができたと話す。「オスマン時代にスーダンから(アイドゥン県の)ショケに労働者が連れて来られたことを学び、『私たちの話はこれだったんだ!』と言いました。私たちは口承の歴史から情報を探しています。私たちの色以外に手がかりはありません。オスマン時代に人々がアフリカから強制的に連れてこられ働かされたこと、解放のシステムでもゴミに捨てるかのように路上で運命に任せられたことを政府が認めることを望んでいます。曽祖父がだれなのか、何語を話していたのか知りたいと望んでいます。オスマン人は文書をよく保管しています。それが開放され、見ることを望んでいます。

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(翻訳者:永山明子)
(記事ID:40801)