シリア:ニースの忌まわしき殺人犯
2016年07月27日付 al-Hayat 紙


■世界の荒廃の上をカラスが飛び舞う

【アフマド・アリー・ザイン】

犯罪は、他のものを忘却に変え、あるいは、忘却に近づけようとする。犯罪を記憶するのは、恋人や家を失い、もはや安全ではなくなった土地や国以外に安全を求めて出国した人々のみだ。故国を安全にするための方策は全て失敗した。そうして、死からの逃避は、国外に行き着くこととなった。

ニースで犯罪が犯された。これに先立ちシリアやイラク、トルコ、リビアで数々の犯罪が犯された。そのすべてが、より多くの流血を伴ったにも拘わらず、忌まわしさの点でニースの犯罪に劣るようだ。事実、ニースの犯罪は、忌まわしさや恐怖、狂気の点で最大級ではなかったが、その手段や場所、実行方法は、まさにこの〔最も忌まわしいという〕表現にふさわしい。

なぜなら、ニースの殺人犯は自分自身を爆破しなかったからである。〔自爆テロの場合〕自らと他の者の死を見ることなく、〔他の者を〕殺し〔自ら〕殺されることができる。しかし、ニースの殺人犯は、自らが行ったこと、自らが犯した犯罪を目にしていた。この殺人犯は、死のトラックを運転し、逃げることのできない人々の体の上に乗り上げていった。相手がグループでも一人でも、右に左に。もしこの殺人犯に〔犠牲者の〕魂に対する粉砕と死の行為を続けることが許されていたならば、それは最大級の狂気により続けられただろう。しかし犯人は殺された。犯人の殺害がその犯罪の継続を止めたのだ。

私たちが見てきたように、バグダードのカラーダ地区での爆発は、これが起きたときに大変な恐ろしさを引き起こし、ブリュッセルの爆破は言いようもなく恐ろしく、忌まわしいものであった。さらにその前には世界貿易センタービルの爆破があった。歴史は、同様の犯罪に満ちている。すべての爆破にはそれが起きる瞬間があり、それは恐怖により表現される。しかしその恐怖はまた、私たち自身が今後、殺人手段を生み出すことに長けた新たな殺人犯の犠牲者になるかもしれないことを意味する。その殺人犯は、私たちの中に暮らしており、犯罪が起きる瞬間までその者を見つけ出すことはできない。

バグダードの庶民的市場、人々で混み合った市場において何トンもの爆薬を積んだ装甲車を爆破する者は、遠くから、あるいは、事件の写真から、自らの犯罪の現場を目にするかもしれない。人々が住んでいる地区に上空から樽爆弾を降らせるパイロットは、その飛行機の窓から立ち上る煙を見るかもしれない。しかしその者は、自らの犯罪の現場を目にしない。どうやって人間の破片が瓦礫の山を混ざってしまったのか、〔その者が見ることはない。〕同様の例は、広島に原子爆弾を落としたパイロットにも言える。その者は立ち上る煙を目にしただろう。しかし、彼はその結果を見なかった、写真の中にそれが現れるまでは。同じことは化学兵器の弾頭を積んだミサイルを〔シリアの〕グータの町に撃ち込んだ者に言える。その者は自らの犯罪の現場を目にすることはなかった。後に写真の中で、その町の子どもたちが寝ているように死んだ写真を見るまでは。

しかし、ニースの殺人犯は〔違う。〕車や飛行機やミサイルのコントロール装置を押した殺人者の仲間たちが写真あるいは遠くの景色として見るまでそれを目の当たりにしなかったのと異なり、彼は自らの犯罪の現場を見ることを待たなかった。むしろ、ニースの殺人犯は、流血のおぞましい光景を自ら直接目撃した。その最初の瞬間からこれを見続け、そしてその場にいた人々の体をトラックで乗り上げていった。その場所〔ニース〕は、自由や暮らしや安全を求めて来た人を受け入れてきたところだった。何が彼を、これほど怖気を震うまで、悪意に満ち、人を殺す、野蛮人にしたのだろうか?

(後略)

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( 翻訳者:松本悠里子 )
( 記事ID:40955 )