Akif Beki コラム:トルコの外からの見え方
2016年07月29日付 Hurriyet 紙

副首相のメフメト・シムシェキがアンカラでムーディーズの関係者と会うと発言した時間帯だった。

昨日、あるエコノミストのグループと一緒に昼食をとった。その中には、国際投資ファンドの経営者、銀行家、市場アナリストもいた。

彼らはメフメト・シムシェキほど気楽であるようには見えなかった。7月15日のトラウマの後、ストレスをまだ払拭できていないようだった。

二つの問題で、副首相と意見を異にしていた。

一つ目は、クーデターの企てがトルコの民主主義同様に経済をも強化したことについて懐疑的であった。

二つ目は、外国メディアで反エルドアン大統領が根付いているので、クーデターを排除してもトルコのイメージは外部では回復していなかった。

残念ながら、格付機関が出す信用格付に影響する深刻な問題だ。

エルドアンの外からの見え方は、経済の外見と密接に関係があり、同時に計る尺度でもある。

賞賛とシンパシーとを呼び起こすべきクーデターにする全体的な抵抗は、世界のメディアでふさわしい反応を受けなかった。

これもダメージを除く試みを困難にする要因だ。

エコノミストの見解に不安があるのは幾分これに由来していた。

彼らもメフメト・シムシェキに賛同していた。近日中にトルコの信用格付けは低下すると予想していなかった。

しかし、一人は正しい政策が行われなければ、3ケ月の間に下落が起きると請け合っていた。正しい方向に向かうことについて大いに懐疑的であった。

彼らは最も、政治がどのように進展するかに注目していた。なぜなら、経済がどう転ぶかは政治次第だからだ。

彼らに大統領府でのサミットや、トップの融和[姿勢]に触れた。どのように彼らがコメントしたか、見ていただきたい。

融和は前向きで、さらにトルコにとっても関係する全ての政治的勢力にとっても、袋小路からのたった一つの出口だ。ほかの道の全ては崖の底を見せている。

しかし、危機が過ぎ去ったのち、諸アクターが振舞いを変えるか変えないかは、誰が保証できるというのだろう?

今は問題が生じて我に返ったかのように、大いに分別があり、建設的で、融和的な態度を取っている、たしかに。

新しい憲法も一緒に作ろうと言っている。法案も協調と対話で出そうといっている。

素晴らしいことに、全て可能な限り理性的で、可能な限り抑制的だ。

さて、明日、気力が萎えた時にはどうするだろう?

私は彼らに以下のことを言った。
こう考えてください。

この無用な心配は、生まれていない子供に服をしつらえようとするのと変わらない。

上記の日々を見ずにこの問題に応えられないが、可能性はある。

エルドアン大統領からバフチェリMHP党首へ、クルチダルオールCHP党首からデミルタシュHDP共同党首まで全てのアクターは、通ってきた道の行き止まりにいた。進むべき先の道は残っていなかった。

彼らがしてきた重い経験は、彼らに新しい機会の窓をも開けた。

この好機を蹴り出し、逸する幸運がないことを最もよく知っているのは彼らだ。

私はこの岩のように硬い事実を信じている。保証をあなた方が求めるなら、これ以上確かな保証は見つからない。

加えて、メフメト・シムシェキがまだその朝語った構造改革の話を彼らに振った。

彼らは顔さえも見ず、まったく注意を引くことはなかった。

彼らはもっと重大なことに注目した。和平プロセスの結果に。

私が話したチャンスの窓がクルド問題にも有効なのかどうか、熱心に尋ねた。和平プロセスが復活するのかどうかを考察していた。

「今も復活しなければ、この先どうやって復活するというのか」と私は言った。

当然、テロ組織とオジャラン同様に国民の民主主義党(HDP)にかかった歴史的な責任も付け加えながら。

一か月前に和平交渉再開に触れたら、誰が信じただろうか。

一堂に会すことは殆ど可能性がなく、あらゆる条件がおそらく二度と重ならないであろう状態であった中、チャンスを無駄にするとしたら彼らであって、他の者ではない。

彼らは私を過度に楽観的だと考えた。

しかし、根拠のない楽観さではない。

ご覧のように、デミルタシュでさえも政府と組織に別々に呼びかけながら、 「トルコは7月15日以前のトルコではない。この新しい状況はよく評価されるべきだ」と言っている。

気付いてさえいるなら、これ以上のことがあるだろうか。

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( 翻訳者:矢加部真怜 )
( 記事ID:40961 )