Taha Akyolコラム:新たな扉
2016年08月08日付 Hurriyet 紙

イェニカプ広場に昨日何百万人が、「民主主義と犠牲者」という集会で一堂に会し、同様の集会が81県で見られたことは、トルコの歴史において、いくつかの事柄が終わりをつげ、新しい時代に入ったことを示している。

7月15日のクーデターに相対し犠牲となった240人ののうち173人が市民であり、クーデターに対して市民が実際に抵抗した。同じ精神が昨日トルコの広場という広場に満たされた。

トルコ史上初の大規模な市民によるクーデターへの抵抗が行われた。今後、クーデターを企てようとする者は目の前には、多くの人々が立ちはだかることを知るだろう、そして破滅を迎えるだろう。

■フェトフッラー系テロ組織(FETÖ)の要素

もう一つのトルコ史上初めての事柄は、古くはイェニチェリの反乱、3月31日事件、共和国になってからのクーデターとは異なる、神秘主義組織の軍内部での派生組織による軍事クーデターの企てであったということでる。

公務員試験や、軍と官僚、司法において行われた「陰謀」は、もはやすべて詳細があきらかになっている。このため、反発はとても大きい。もはや、「宗教の悪用」という概念を宗教保守派も使用する。テレビで、新聞のコラムで、「教団、タリーカ」といった言葉、「シャイフ、尊師、夢、選ばれし者、教えを身にそなえし者」といった神秘主義の概念を問いただし、イスラムの観点から批判している。

世俗主義の理解も新たな段階入っており、もはや、よりリベラルでより合理的な発展を示していると言えるだろう。

■多元的な集団

最も重要なのは、私たちの歴史的な病気である怒りに任せた政治的衝突と先鋭的な分裂を乗り超えるかも知れないという希望が昨日のイェニカプ広場で芽吹いたことだ。これが一時的な希望でないことを祈っている。

クーデターが「公正発展党(AKP)政権内の衝突」のようにとらえられることは、恐るべき間違いである。世界ではこの事件をこう見ている者もいる。クーデターが民主主義に対する流血を伴った攻撃であると説明することにおいて野党の支持は、非常に重要である。

クーデターを起こした者たちが議会を爆破した時、そこには4つの政党の国会議員が民主主義の番人としていた。ギュレンの身柄引き渡しのためにアメリカに行った使節団には野党の議員もいる。この点からも、エルドアン大統領は、起こしている訴えを取り下げ、共和人民党(CHP)と民族主義者行動党(MHP)の党首を官邸と会議に招待し、党首たちもこれを受け入れることが適切である。

そしてその時、国民の民主主義党(HDP)を除外すべきではない。このことも述べておく必要があるだろう。

■今後

場合によっては、与党と野党が一緒に行動を起こす必要があるのが民主主義である。民主主義が、トルコの歴史において、悲劇の原因となった理由の一つは、政党間での長年にわたる確執を生み出した衝突であった。このような政治の伝統があるトルコで、諸政党が一堂に会して団結と民主主義のための集会を行い、「政治的な転換点」とすべきであり、政治において交渉と合意という意識が広く行きわたることが必要である。

■二つの極

トルコの政治史で改革派と保守派の二極化がある。共和人民党のクルチダルオール党首が、12の項目として数える「教訓」のうち特に「モスクと軍の施設、裁判所」への政治の不介入と報道の自由という理念が最も重要である。政治はそのような状況でさらにお互いが歩み寄り、合理的になる。

また、保守派のビナリ・ユル ドゥルム首相の「この統一的で歩み寄りのある政治を続けること」という言葉を強調したい。

ヌトゥク(アタテュルクの演説集)で「裏切り者」とされているラウフ・オルバイとキャーズム・カラベキルを共和人民党支持者が「共和国を築いた人」として誇らしげに繰り返すこと...公正発展党党党員がナーズム・ヒクメトとアフメト・アリフの詩を読みあげることは、双方の間にある壁にコミュニケーションの手段がつくられていることを示している。

共通の政治的言語を発展させるために、私たちの辞書に共通の概念が必要である。

イェニカプ広場での、この団結とコミュニケーションの雰囲気が周期的でないことを祈っている。今後、私たちの政治生活が、もはや敵意や怒りにではなく、交渉と和解の心に支配されることを望む。

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:41024 )