Taha Akyol コラム:死刑問題
2016年08月12日付 Hurriyet 紙

エルドアン大統領は、それが話題に上がる度に、死刑の復活を支持している。

昨夜、ベシュテペにて群衆が死刑制度の復活を求めたことで、エルドアン大統領はさらに一歩踏み込んだ。大統領は、将来的に復活する死刑制度が、7月15日のクーデター未遂の実行犯らを含む形で立法化されると述べた。

これは、将来死刑制度が復活させられたならば、それは過去の事象に対しても適用されるということを意味する。大統領はこのような見解だが、政府はこれと大きく距離を置いている。

私が見たところに誤りがないならば、政府からはヴェイスィ・カイナク副首相のみが、昨日トルコCNNの放送で「個人的な見解」とした上で死刑制度の復活を主張し、それが後退であるかという問題には触れなかった。

■政府と政党

AKP(公正発展党)内で政治的に大きな影響を持ち、法律家としてのキャリアも持つ面々は、この問題について忌憚のない意見を述べる。

ハヤーティ・ヤズジュ副党首は、死刑制度の復活は間違っていると述べ、「死刑制度が復活させられたとしても、過去の犯罪をも含んだ適用はされない」と主張した(7月30日)。

過去に法務大臣を務めた法律家のメフメト・アリ・シャーヒン氏は昨日、地元であるカラビュクで「死刑制度」の復活を望む群衆に対して、「私は法律家だ」と前置きしたうえで語りかけた。エルゲネコン裁判とバルヨズ裁判に言及し、「死刑制度はとても慎重に扱われるべき問題だ」と述べ、「死刑制度の復活はあり得る。しかし法律が変えられた場合でも、容疑者に利するものならば過去の罪に遡って適用されるが、不利に働くものならば適用されない」と述べた。現職の法務大臣はこの問題についてまだ口を開いておらず、アナトリア通信社(AA)の記者会見においても記者たちはこの問題について質問しなかった。

ビナリ・ユルドゥルム首相は、「死刑」について全く言及していない。AKP党派大会で観衆が「死刑」と叫んだときは、「裏切り者には、最も重い刑が科される」と述べた。もちろん、我々にとって最も重い刑とは、「終身刑」である。

■ジェヴデト・パシャ

トルコではタンズィマート期に近代刑法が整備された。大宰相やスルタンの暗殺を企てれば、当時の世界のどこでもそれに対する刑罰は死刑である。偉大な法律家であるジェヴデト・パシャは、我が国の法の法案にもこのことを記した。
しかしシェヴケト・パシャが、「スルタンの暗殺など誰も考えてはならないし、法律にさえも記されるべきではない」と反対し、この条項は除外された。1858年8月9日、刑法はこの形で施行された。しかし9月14日に「クレリ事件」が勃発し、スルタン・アブデュルメジトの暗殺を計画した賊が現行犯で逮捕された。

この者どもを死刑にしよう…
ジェヴデト・パシャが反対する。「そのようなことは法律にない!」
復古的な死刑制度は復活しなかった。暗殺者には、「殺人の企み」という罪状が与えられた。
今日においては、刑法に「終身刑」がある。
ジェヴデト・パシャは「秩序ある国家を」と述べ、法治国家を擁護した。これは単なる法律家としてではなく、オスマン政府の外交のためにも必要だった。

■「味方を増やす」

死刑制度は今日のトルコにおいて、法的かつ外交的な問題である。群集心理における興奮の一方で、法的な専門性を持つ問題であり、また「仲間を増やす」必要性のある外交的な問題でもある。

死刑制度を復活させなくても、大衆の感情を考慮した意見を述べれば、外交においては国にとって不利なものになる。デンマーク与党は、この「死刑」の言説のために、「トルコのEU加盟交渉を打ち切る」ことを要求した!

国のイメージがこのような強気な発言によって下落し続けるならば、最終的に被害をこうむるのは我々だ。ギュレン師の送還さえもとても難しくなるだろう。法務省と外務省の専門家は、高名な法の専門家を招き、理論的なレポートを作成するべきだ。大統領閣下と首相閣下も、この問題について議論し、結論を導き出さなければならない。

トルコは「秩序ある国家」であるべきだし、また基本的な法規に関して安定が保証されるような国家でなければならない。法の基本原則に挑戦するような動きは避けるべきだだろう。

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( 翻訳者:神谷亮平  )
( 記事ID:41049 )