Murat Yetkinコラム:ジェラーブルス攻撃の舞台裏
2016年08月25日付 Hurriyet 紙

トルコ政府は8月20日金曜日に作戦開始を決めた。

タイイプ・エルドアン大統領が開いたイスタンブル、タラビヤのフベル邸での緊急安全保障会議で最新の諜報情報が議論された。

イスラム国の兵士が8月12日にマンビジュから北へ、トルコ国境に近いジェラーブルスに向かって逃走する写真が既に広まっていた。

しかし報告はアメリカ空軍と特殊部隊の支援によるマンビジュ奪還に大きく貢献した民主統一党(PYD)の軍が、彼らを追ってジェラーブルスに進んだというものだった。

しかし、アメリカのバラク・オバマ大統領が5月19日のタイイプ・エルドアン大統領への電話で何度か繰り返した言葉があった。民主統一党(PYD)はユーフラテス川の西へは渡らず、イスラム国に対する攻撃の過程で渡ったとしても、そこには留まらないことになっていた。アメリカはこの言葉を否定せず、マンビジュ奪還の後、トルコが「さあユーフラテスの東へ戻ってくれ」と言った際も「あと数日待ってくれ」とだけ言っていた。

だが、今や明らかに民主統一党(PYD)がジェラーブルスをも制圧しにかかっているのが見受けられている。政府はアメリカの友人から事が済んだ後になっ て「すみません、私たちは帰れと言ったのに彼らが言うことを聞きませんでした」などと謝罪を聞くことのないよう、作戦開始を決めた。

また、ジェラーブルスのイスラム国はさらに強化され、脅威が増していた。

シリアの小さな町だったジェラーブルスは一瞬にしてトルコの新たなシリア政策において重要性を持ち始めた。これには3つの理由があった。

1- 少し前に述べたように、マンビジュから逃走したイスラム国の兵士がジェラーブルスに留まり、トルコに対する脅威が増した。

2- ジェラーブルスは910kmの国境線沿いで唯一イスラム国の支配下にある重要な居住地域だった。とりわけ、町はユーフラテス川の西岸のちょうどシリア国境が始まる場所にあり、この地理的特性によりイスラム国の兵士がトルコへの行き来に使う場所だった。このためイスラム国からの奪還は、シリアからトルコ、 さらにはヨーロッパ、ロシアへの交通網が大きな打撃を受けるということだった。

3- しかしジェラーブルスが民主統一党(PYD)の手に渡ることは、アアザーズとマレの間の自由シリア軍の支配下にあるわずかな地域を除く全てのシリア国境が民主統一党(PYD)/クルディスタン労働者党(PKK)の支配下となることに繋がった。これはトルコがより困難な条件で、よりリスクの高い措置を取ることに繋がる可能性があった。

作戦の実行が決まった。しかもこの決定の際にはまだガーズィアンテプで子供30人を含む54人が結婚式へのテロ攻撃で殺されてはいなかった。

メヴリュト・チャヴシュオール外相のチームが作戦の外交[的対処]を進めるはずだった。アメリカ、ロシア、イラン、サウジアラビア、イラク・クルド政府を中心に説明が行われることとなった。

何を実施するかも明確だった。1年前の2015年6月にPKKとイスラム国がトルコに対する攻撃を始める前に、アメリカと合意していた。

これによると、ガーズィアンテプのカルカムシュ郡の真向かいにあるシリアの町、ジェラーブルスとその98km西にあたる、[トルコ領の]キリスと一直線上にあるアアザーズの町の間の、トルコ国境から先の45kmの場所にあたる地域は安全地帯にされる予定だった。この地帯はシリア難民をシリア国内の土地で保護することを可能にし、自由シリア軍の民兵組織の教育と作戦の場としての機能を担い、クルディスタン労働者党(PKK)/民主統一党(PYD)がトルコ国境沿いのクルド人地域、いわゆる「回廊」を形成することを阻止するはずだった。45kmの距離は技術的な必要からだった。これは航空支援がなくても明白な安全保障の傘をもたらす榴弾砲フルトゥナの射程距離だったのだ。

アメリカとの合意によると、インジルリキ基地の開放によりここへ来る戦闘機の役目は、まさにこの「イスラム国から奪還された地域」(英語では”ISIL free-zone”)を築くことだった。

しかしインジルリク基地の開放により事態が変わった。6月7日選挙の後、トルコはPKKが3年振りに再開したテロ行為とイスラム国のトルコに対するテロ行為に見舞われ始めた。ロシアとイランの主張で9月にシリアに戦闘機を送り込み始めた際、実際はもうこの計画の可能性は残っていなかった。11月24日のロシアの戦闘機撃墜により完全に棚上げとなった。

約7ヶ月後にエルドアン大統領がウラジーミル・プーチン大統領に宛てた謝罪の手紙が6月27日に公開されたことで「正常化」に向かったロシアとの関係は、シリア政策における自己批判と変化と重なった。

7月15日の死傷者を出したクーデター未遂もまさにこの過程でトルコを混乱させた。このクーデター未遂に加わった兵士の中でシリアとイラクの国境の警備やPKKやイスラム国との戦闘を担っていた第2軍の士官たちの割合はまだ十分に取り調べられていない。しかし7月15日は与党と野党と国民の反対姿勢によって乗り越えられた。

ロシアとの関係正常化、シリア政策における「移行期にバッシャール・アサドは存在し得る」のラインに戻ると、ジェラーブルス作戦は現実となった。

民主統一党(PYD)のサリヒ・ミュスリム首相は昨日の朝、「トルコは敗北する」というツイッターのメッセージと音声を少し早めに発信した可能性がある。その頃トルコに向かうアメリカのジョー・バイデン副大統領はまだ移動中だった。飛行機に同乗した記者たちは「トルコはイスラム国との戦闘に一層積極的に加わっている」という方向で発信した。報道ではアメリカが「クルド軍」と呼ぶ民主統一党(PYD)に対し北へ向かうのをやめるよう命令したことも取り上げられていた。(民主統一党(PYD)がアメリカの命令に従わず目的地に向かって突き進んだことに関する情報はその後も来なかった。)

ビナリ・ユルドゥルム首相とのチャンカヤでの3時間に渡る会議の後、バイデン副大統領はユルドゥルム首相の意見に賛同し、(民主統一党(PYD)の武装部門の)クルド人民防衛隊(YPG)がユーフラテス川の東に渡らなければアメリカは支援をやめると述べた。これから少ししてアメリカ国防総省はアメリカの戦闘機がトルコが支援するジェラーブルス作戦に積極的に加わっていると発表した。

次の問題はこれからどんなシリアが築かれるかに関する議論になってきている。

私たちはそろそろそちらにも加わらないといけない。

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:41111 )