検挙中のジャーナリスト「エルドアン批判をギュレン派支持扱い」
2016年09月07日付 Cumhuriyet 紙

クーデター未遂後始まった、フェトフッラー派テロ組織(ギュレン派)の捜査によって検挙中であるアッティラ・タシュ氏とムラト・アクソイ氏からのメッセージ。アッティラ氏は獄中、CHP(共和人民党)のアーババ氏に対して、「明らかに、『政府批判をするな、もし批判すればテロ組織を支援していることになるぞ』と彼らは言っている。」と話した。

CHP副党首と刑務所担当委員会報道官を兼任するヴェリ・アーババ氏は、昨日シリヴリ監獄でアッティラ・タシュ氏とムラト・アクソイ氏に会った。接見後、レポートをこしらえたアーババ氏は、アッティラ・タシュ氏とムラト・アクソイ氏が彼自身に話したことをシェアした。

クーデター未遂の結果始まったギュレン派捜査によって検挙中であるアッティラ・タシュ氏が獄中でアーババ氏に話した内容は以下である。

「いずれにせよエルドアンはいつかは消えるが、国はいつも公平であることが必要だ。(ギュレン派で知られるNBAのトルコ人プロバスケットボール選手)エネス・カンテルが新聞社に来た。そして私を探し、あなたにユニフォームをプレゼントをしたいと言った。私は写真を撮らせ、彼らはそれを証拠写真に用いた。彼らは私を逮捕して、脅した。私にはお金はなかったが、新聞社から私にある提案がされた。芸能記事に重きを置いた新聞にしよう、と彼らは言ったのだ。私は新聞社には行かないで、記事を書いてはEメールで送っていた。」

■「アタトゥルク主義者だと言って告発するなら理解できた」

「私に全く罪はない。全くこのような告発で獄にはいるとは思ってもみなかった。警察は私を一番前にして私の写真を撮影した。アタトゥルク主義者だと言って告発するなら理解できたのだが。『アッティラ・タシュ氏、逃亡』というニュースを見た。私はその時、チェシュメで休暇を過ごしていた。そこで次のようなツイートをした。『逃亡者も、逃亡したと言い張る者も恥ずべきものだ。』そして動画を撮ってから出発した。ゲムリック近郊でまたもう1つツイートし、『友よ、私は出発した。朝イスタンブルにいる。私は逃げも隠れもしない、朝、警察に自分でいく。』と言った。このツイートの10分後に私の前をモーターバイクに乗った警官が飛び込んできた。彼らは私の出頭は望んでいなかった。もし私が自分で出頭していたら、逮捕は難しくなるようだった。」

■「これらはすべて、脅威と怒りの捜査。政府批判をするもの全員がターゲットだ。」

「どうやら私はエルドアンを批判し、ギュレン派を支持しているということのようだ。明らかに、『政府批判はするな、もししたらテロ組織を支持しているとみなす』と彼らは言っている。私を使って、ソーシャルメディアを利用するものたちに、コートの下から棒をちらつかせているのである。このように考えればトルコの50%がテロ組織を支持していることになる。政府を批判するもの全員がターゲットだ。もし私がトルコ共和国に少しでも裏切っている証拠があるなら、仕事を検察官や警察に委ねない、自分で自分を撃つ。これら全ては脅威と怒りの捜査である。私の罪は、政府を批判し正しいことを言ったことだ。」

■「額を隠さず、顔をあげ、心は晴れやかだ」

「私が潔白であることを私がわかっているのと同じくらい、彼らもまたわかっている。どうやら、私は連中をずいぶんと追いつめていたらしい。額を隠さず、顔をあげ、心は晴れやかだ。なぜなら私は無実だからだ。ただ1つの罪は政府を批判したことだけ。あきらめない!」

■ムラト・アクソイ:「僕達は仕方なく書いた。 」

アッティラ・タシュ氏と同様捜査によって検挙中であるムラト氏の話は以下のようだ:

「最も残念なのは、私を通しケマル・クルチダルオール氏が陥れられようとしていることである。一番最後は5月に、イェニ・ハヤットで記事を書いた。2ヶ月間記事を書いて、1ヶ月お金を頂いた。ミッリエットでは1年間書いた。2015年10月にそれも終わり、仕事がなくなり、記事を書くところを見つける必要があった。仕方なく書いた。私の子供は8/30に割礼をする予定だった。12:30に予約を取った。だが、息子の割礼の日に逮捕された。娘と息子が1人ずつ。娘は9歳で小学4年生、学校に通っている。娘に会うこともできずに捕まってしまった。息子が23ヶ月。目を閉じれば彼らを眼前に見ている。」

■「全ての批判を、ギュレン派支持だという」

「テロ組織だと知りながら、自分から称賛したと責められている。たくさんの新聞会社へ行った。ヒュリエット、ジュムフリエット。しかし仕事はもらえなかった。2014年の2月から9月の間、T24でボランティアで記事を書いた。オファーが来たので、私も書いた。私はこの記事によって告発をされている。記事は完全に批判であり、『AKP(公正発展党)は、自分の国を作ろうとしている』『市民は服従』『エルドアンの2番目の建国の父の夢』と書いた。全ての批判を、ギュレン派支持とみなされる。私たちはただ批判しただけだが、そのために罰された。私がギュレン派とは、まったく関係ないことを皆知っている。現在の閣僚らも私をよく知っている。私は2つのことを期待している。1つ目はさらなる民主主義と自由。そして2つ目は私たちの子供が困ったことにならないことだ。」

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( 翻訳者:西山みなみ )
( 記事ID:41179 )