アリ・バイラムオール氏、イェニ・シャファク紙から離職
2016年09月21日付 Cumhuriyet 紙

アリ・バイラムオール氏がイェニ・シャファク紙から離職した。アリ・バイラムオール氏の離職に関して「15年間私がコラム執筆者として続けてきたイェニ・シャファク紙は最近私の記事に関して不快感を覚え始めた」と表明した。

アリ・バイラムオール氏が2001年来執筆を続けてきたイェニ・シャファク紙から離れると伝えた。バイラムオール氏は「イェニ・シャファク紙は最近私の記事に関して不快感を覚え始めた」と述べ、「同紙のこれに向けた介入を受け入れ、そして期待に応えるといった次元の問題ではない。新聞と私との間にある「契約」がもはや続けられない状態にまで来てしまった。イェニ・シャファク紙で記者として記事を書くことに終止符を打つ」と述べた。

バイラムオール氏は、ムスタファ・カラアリオール氏、ユスフ・ズィヤ・ジョメルト氏、メフメト・オジャクタン氏が設立者となるカラル紙に移行することが囁かれている。アリ・バイラムオール氏がソーシャルメディア・アカウントで共有したメッセージは以下の通り。

アリ・バイラムオール氏の「警告」という見出しとともに昨日(2016年9月20日)出された最後の記事は以下の通り。

まず小さな繰り返し:

クーデター未遂に関連して規模(何万もの)と形態で(クルド人教師らから反対派の声にわたる、誤差は高い)、必要とされるものであれ結果として(いくつかの基本的権利と自由を棚上げとする)非常事態体制に依拠する逮捕、拘束、解雇は、社会生活を何年もの間影響する。罪の個人責任の原則の拡大からこの方向での追尾と立件方法まで、これらを実行する検察官、裁判官のグループから可能な法的是正に至るまで、治安を優先する国の活動は、「政治的時代」を占めるに留まらず、時代の精神をも占有し、決定する...。

法治国家は、非常事態下においてでさえ、民主的枠組みを壊そうとするあらゆる活動の代償を、最低限の民主的諸条件において、そして法的手段を通じて問う責任がある。これは、容疑者と犯罪者のみならず、全社会の権利と諸権利を確保することを要する。

つい昨今まで、ギュレン派が「バルヨズとエルゲネコン」裁判を汚したこと、この汚れが社会全体に広がることに繋がらなかったのか。不当な扱いを受けた者たちが被った権利の奪取が全司法の秩序をバラバラにしなかったのか。これらを全て同時に経験しなかったのか。

誤ちは修正可能だが、跡は残る。

この国の最前線にいる知識人、記者、思想家たちにあたる、クーデター、暴力、テロと一切関係がないシャーヒン・アルパイ氏、アリ・ブラチ氏、ナズル・ウルジャック氏、アスル・エルドアン氏、ムラト・アクソイ氏、メフメト・アルタン氏、アフメト・アルタン氏は、最終的に釈放されるだろう、これに疑いはない。私の意見では、各人の人生、闘い、作品、物語でさえ各自のクーデターとテロに反対する姿勢、この姿勢を証明するものだと思っている。

しかし現状、過ぎゆく、また今後過ぎてゆく時代はどう説明されようか。

どのような跡を残すのか。

あるいはフェトフッラーテロ組織(FETÖ)と関係なく、解雇されFETÖ派と決めつけられた被害者、その家族の権利と尊厳はどうなるのか。

その跡はどう消されるのか。

跡の向こうにはリスクがある。

歴史家のシュクル・ハニオール氏は、サバフ新聞でこのリスクを近代の歴史の二つの事例を基に触れている。政治的権力が台頭してきたある脅威を一掃する際に、単独政党の体制をどのように築いたのかを説明している、この事例は。

「バブー・アーリーの圧力により、権力の座を手にした統一と進歩委員会の体制に対する反対派の新たな試みの合図になった(大宰相マフムート・シェヴケト・パシャに対する)暗殺(1913年6月11日)の後、政府は自身を標的にした計画に対して強制措置を取った。この間進められた闘争は、企てと関係がない全ての反対派の粛清によって終わりを遂げた。官僚と軍における反対派が引き起こしうる新たなクーデターを阻止しようという杞憂は、実際の単独政党体制の確立にかなり寄与した。

シェイフ・サイードの反乱(1925)からイズミル暗殺未遂(1926)に至る期間で起こった未遂事件の為にとられた措置は、「治安維持法」の公布、野党の閉鎖、独立戦争の英雄である司令官らから統一と進歩委員会の旧指導者らに及ぶ一連の反対派が(一部は証明されていない犯罪によって処刑され)清算されるといった体制の基盤を準備した…。」

日々我々がしている警告を今一度ハニオール氏の著述から読み取ろう。

FETÖの「粛清はトルコにとって死活問題であり、私たちの本来の目標は参加型の民主主義であるという事実に影を落とさず、この理想に辿り着くには通り抜ける必要がある道を引き延ばさないこと」だ。

基本的な問題はこれだ。

7月15-16日、民主主義的コンセンサスの意味はここに横たわっている。

■アリ・バイラムオールとは

アリ・バイラムオール氏は1956年にチャナッカレのゲリボル市に生まれた。バイラムオール氏は、1973年にイスケンデルン高校を卒業し、1979年にグルノーブル政治学院で学部教育を修了した。大学院を1982年にイスタンブル大学の経済学部で終え、1985年には同大学の社会科学研究所で博士号を取った。その後、バイラムオール氏は、1981‐1999年の間、マルマラ大学の公共学科で務め、イェニ・ユズユル紙、スター紙、イェニ・ビンユル紙、およびサバフ紙でコラムニストとなった。

最後に、イェニ・シャファク新聞でコラムを書いていたバイラムオール氏は『2月28日 - 介入日記』と『トルコにおけるイスラム運動への社会学的視点』という作品を執筆した。

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( 翻訳者:満生紗希子 )
( 記事ID:41288 )