ユーラシアトンネルはエルドアンへの誕生日プレゼント?
2016年09月28日付 Cumhuriyet 紙


アフメト・アルスラン交通海事通信相は、「サプライズで、ユーラシアトンネルの着工日をエルドアン大統領の誕生日に設定した」と述べた。

アフメト・アルスラン交通海自通信相は、イスタンブルのアジア側・ヨーロッパ側を海底で結ぶ幹線道路チューブトンネル・プロジェクト・ユーラシアトンネルの開通が、12月20日になると述べた。本件は、建設産業企業主組合(İNTES)の会合で公表され、約12億ドルのプロジェクトの裏話も一緒に伝えられた。アルスラン交通相が述べた逸話は、国庫保証の一種である債務保証が、五年前に官僚の間で大きな議論となっていたことを示している。ユーラシアトンネルには国庫保証としてBOT(build–operate–transfer)方式が採用され、国庫保証の意味合いを持つ債務保証契約が適用された初めてのプロジェクトだった。同相は、「法律専門の役人2名」とよんだ公務員2名の抵抗を受け苦労したと話した。同相の談話は次の通り。

■「ひどい目にあった」

2月26日の意味を存じないものがいるかもしれない、エルドアン大統領の誕生日である。サプライズに2月26日に着工したい。当時のエルドアン首相より参加する、との言葉を頂いていた。[2011年]2月24日の深夜、時刻は2時~2時半頃。国家計画庁では国家計画庁、国庫、財務、交通省と我々は駆け引き行っていた。国庫庁、財務省より法律家2名が債務保証契約を理由に、「無理です、できません」といった。あたかも彼らは愛国主義者で、我々は売国奴のような言い方だった。まあ、結局、他の者が調整に加わった。私は彼らに『このことに決着がつくまでここを離れない。明日はここで祝いに犠牲獣を屠るのだ』と言った。『ああ、まったく、なぜそんなことを言うのですか』と彼らは食い下がったが、私は、「若い役人2人のせいで、ひどい目にあったのは自分たちの方だ」と言ってやった。

■「私は辞任していただろう」

アルスラン交通相は、朝まで続いた議論の結末についてこう語った。「このプロジェクトは上手くいっており、それがあって初めて、オスマンガーズィー橋、次いでヤヴズ・スルタン・セリム橋等のプロジェクトができているのだ。もし、26日に間に合わせることができていかなったらどうなっていただろう。当時、私は局長だった。おそらく、翌日までに辞める羽目になっていただろう。」

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( 翻訳者:山根卓朗 )
( 記事ID:41334 )