高級ブティック、閉店相次ぐーニシャンタシュやバグダット通り
2016年10月01日付 Hurriyet 紙


トルコのショッピングの砦であるニシャンタシュやバグダット通りは落城してしまったのか?今シーズンのショーウィンドウの流行は、大きめの文字で書かれた「貸し店舗」の文字...。これが流行の中心地であった通りの現状である...。

1980年代末から90年代初頭、「トレンディ」に見られたいと願う都会のエリートトルコ人は大変だった。世界的な流行をとらえた店舗はトルコにはなかったからである。こうした状況の中で、奇妙な場所から流行を追いかけた。たとえば、どこか違法なことをしている気分にさせたアメリカン・バザール。ティンバーランドのブーツや、Levi’s 501、ゴム底のセバゴのローファーなどの服飾品に似せた商品が、カラキョイのおしゃれとはほど遠い場所にズラッと並んだ店で調達されていた。そこで購入したものが「海賊品」かどうかは、消費者のブランド知識と販売人の良心にかかっていた。

ティファニー&トマトとかレモン・カンパニーといったブランドのコレクションを好まず、よりエレガントな商品が欲しいときは、ニシャンタシュからシシュリに続く僅かなブティックにしかなかった。パリからトランクで持ち込まれた衣服の価格には仕入れにかかる旅費も上乗せされていたが、ボトムスが5本、セーターが3着と飛ぶように売れていた。ヴェルサーチやD&Gを取り扱っていたアリ・アルタ・モダという店もあり、(現在の高級国内ブランドの)ベイメンやヴァッコに負けない商品価格であった。両ブランドは、もちろん当時も開店していたのだが、24回分割払いが可能なクレジットカードなど私たちは持っていなかった。

外国へ出る者には買い物リストをことづけるのが通例だった。しかしそんな注文品も、黒煙を吐く汽車のように、もしかすれば来るし、まったく来ないこともある。それほどまでに困難な時代だったのだ。

■グッチがあったのを覚えていますか?

90年代末になりようやく状況が変化し始めた。カジュアルなものから高級品までブランドが一つ、二つと市場に参入したのだ。1996年にはルイ・ヴィトンが派手にオープンし、1997年にはグッチやアルマーニがマチカ地区に展開した。1999年にバグダット通りにオープンしたザラの店舗ではチェルシー・クリントンがショッピングをするほどだった。髪をドライヤーで整え、バクダット通りを上へ下へと歩 き、ニシャンタシュのカフェで交遊を求めるという素晴らしい日々だった。

当時のニシャンタシュやバクダット通りを歩いたことがあれば、あの場所で甘い時間がないことがわかるだろう。ショッピング2大聖地の最新流行が「貸し店舗」の広告とは...。

■かつては桑畑が広がっていた

まずはニシャンタシュから始めよう。[作家で新聞記者の]アブディ・イペクチの銅像があるところで、凋落ぶりはTopshopというブランドのトルコからの撤退に表れている。まっすぐ下ると4~5つの「貸し店舗」の看板に不動産会社の電話番号...。一時はDKNY、BCBG、Bogner、 Blenderといった店舗があったボスタン通りはどの店舗も貸し物件だ。

都市の変容の爪痕という点では、バグダット通りの状況はいっそう明らかである。スアディイェからギョズテペまでの道中に15も貸し店舗のプレートがかかり、全面のショッピングストリートは巨大なフードコートに変貌。店舗はシャッターを閉じた。

なぜこんな状況になったのか?都市で最も華やかなショッピングの中心地の未来は?専門家に尋ねてみよう。本紙の経済記者ウール・ギュルセス 氏に「うち捨てられてた地域」の原因を明らかにしてくれるよう依頼した。氏曰く「安全への懸念から、大通りの店舗に向けられていた関心が減少した。人々は爆発の可能性がある人混みや安全の担保されない場所で時間を過ごしたいとは思わない。今年、トルコは800万人の観光客を失い、このことも観光のメインストリートであるニシャンタシュとバグダット通りにも打撃を与えた。更に経済成長が緩慢になって、企業収益も急激に減少した。賃貸料は高い。経済力のない店がシャッターを下ろすことになる。」

■盛り返そうとしているのか?

Bershkaもトルコから撤退した。バクダット通りに残る看板痕が証拠だ

そして、このモダンな通りの魅力を台無しにした要因は安全と観光だけではない。ニシャンタシュもバクダット通りも工事ラッシュによって酷い打撃を受けているのだ。ニシャンタシュは建設現場のよう。かつては「坂がなく道はまっすぐ。ハイヒールでも楽に歩ける」という文句でショッピング好きを呼び込んでいたバグダット通りにヘルメットを着用して行くことになる。

メーカー組合協会のスィナン・オンジェル副会長も同じ意見だ。曰く「掘削機の騒音や工事現場の中でショッピングしたいと思う人はいない。頭上にセメントが降ってくる可能性すらある。一方、この状況はショッピングモールに有利な立場をもたらした。ショッピングモールの運営会社は賃貸料に関しても柔軟だ。路面店の場合は賃貸料がユーロか米ドルに連動しており、レートは3年間で50%上昇した。誰が払えると。」

さて、店舗主にはショッピングモールのほうが融通が利く。それはいい...。しかし一方で、TopshopやShayaグループなどのブランドがトルコから完全撤退したという現実もある。ウール・ギュルセス記者によれば、この原因も最近になって生じた事ごとだ。同記者は「トルコの不安定さは、企業にとって所有権を脅やかす要因となる。外国資本にとって債券と動産のリスクが重荷になり始めた」と述べた。

すべてこうした出来事ゆえに我々とファッションとの関係は、20年ほど逆行するのか? 悲観的にはならないでおこう。登録ブランド協会のフュスン・クラン会長は、「今の流れに変わり目はある」と述べる。同氏は、「いつの時代もトルコからメー カーが撤退した後、別のメーカーが入ってきた。資本所有者が賃貸料の点で理解を示せば、ニシャンタシュやバグダット通りも再びかつての栄光を取り戻すだろう」と語った。

この楽観的なコメントに加えて、ザラ渉外部のディララ・ギョゼレクリ氏からも朗報がある。「ザラがトルコから撤退するという噂が流れ、笑ってしまいました。撤退どころか、10月5日時点でオンラインショップをオープンします」ということだ。

さて、このニュースは素晴らしいが、ニシャンタシュやバグダット通りでうきうきと体を揺らし買い物ができないとなったら、セーターやスカートやバッグをどうしたらよいのだろう? それらを身に纏ってもどこで気取ればよいのだろう?

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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:41351 )