Murat Yetkin コラム:HDPに関する過ちとその後
2016年11月04日付 Hurriyet 紙

人民の民主主義党(HDP)の共同党首であるセラハッティン・デミルタシュとフィゲン・ユクセキダー、そして議員らが、11月4日未明に拘束され、その後逮捕されたこと、それ自体非常に大きな出来事であった。
しかしながらこの文について、ほかの言い方をすることも可能だろう。では、実際にそうしてみよう、読者のみなさんにも、そのように読んでほしい。さらに言えば、声を出して読んでほしい。

トルコ大国民議会の第三の会派を有する野党の党首と議員らが、逮捕された。

耳にどのように響くだろうか?

あまり良く響かない、民主的な国家のようには響かないのではないだろうか?

ベキル・ボズダー法務大臣は好きなだけ、「彼らも証言をしに来ていれば良かったのに」と言えばよい。

メヴリュト・チャヴシュオール外務大臣も好きなだけ、「スペインのとある市長は、二度にわたって証言に来なかったために逮捕された」と例を示したらよい。

あるいはビナリ・ユルドゥルム首相もまた好きなだけ、共和人民党(CHP)のケマル・クルチダルオール党首の「選挙で議員になった者は、選挙で議員の職を失わなければならない」という警告に対し、「しかしテロと関係しているのであれば、その代償を支払うのだ」と言えばよいのだ。

一方で、HDPは好きなだけ、PKKによるテロ活動との間に、明確な距離をとらなかったことにすれば良い…。

好きなだけ、HDPが自治体の情報を、(アフメト・チュルクの言葉を借りれば)「(HDPと)支持層をシェアしている」PKK関係者らに手渡したことにすれば良い…。

結局我々は、500万票を獲得して国会に議席を有し、今日ではなくとも明日にも、トルコの大きな問題の一つであるクルド問題と、それに関連したテロ問題の解決においてカギとなる役割を担うであろう政党について話している。

もう一点重要なことがある。HDPの共同代表らと議員らは、7月15日のあの血なまぐさいクーデター未遂に関し、国会の他の政党とともにクーデターに反対し、共同声明にも署名をした。クーデターの背後にいたとされるギュレン派の政治的なつながりには触れられないし、ましてや否定されている状況でのHDP議員らの逮捕は、記録しておかねばならないだろう。

非常に残念ではあるが、政府は、人民労働者党(HEP)が1994年に国会から警察に連行され逮捕されたことへの解決策を見出すことができなかったようだ。むしろ問題を大きくしており、すなわち、あらゆる警告に対する教訓を見出すことができなかったということなのだろう。

ユルドゥルム首相が昨日(11月4日)初めて認めたインターネットのアクセス制限について、それが何に対して、どれほどの助けとなりうると考えられているのだろうか?

さらに、ここ何週間かの間で起こった事柄も一緒に考えたとき、民主主義という土台がどれほど浸食されつつあるかが示されていると言えるだろう。

死刑制度復活の声が政治という場から発生し、話題となること、ジュムフリイェト紙が、フェトフッラー派テロ組織(FETÖ)とPKKと同じタイミングで(ギュレン派ではないのかという疑いから捜査にかけられた検察官によって)捜査されたこと、記者らが逮捕されたこと、そしてHDP議員らの逮捕といった出来事は、すぐ、我々の頭の中に、次は何が、の身に起きるのかという疑問を生じさせる。

これらすべての事柄について、二つの重要な枠組みの中で考えていかなくてはならない。

まず一つ目が、シリアとイラクで続く大規模な攻撃の準備である…。

アメリカがラッカ奪還作戦に向けてトルコの協働の提案ではなく、PKKのシリア部隊であるPYD/YPGとの協働を選択したことは、もはや明白である。]モースル奪還にあたってトルコが参加するかどうかについては、アメリカも、イランをバックにつけたイラク政府もそれを望んではいない。トルコのタンカーが連日シリアとイラク国境のキー地点に配置されている一方で、PKKと、またPKKとつながりを持っているとして非難されているHDPに向けた動きが、一連の事の展開と無関係であると考えるのは、あまりに無垢すぎるというものだろう。

二つ目の、そして本当に重要なことは、エルドアン大統領が長期にわたって目標としてきた大統領制に移行すべく、公正発展党(AKP)がスピードを上げて動いているということだ。

この展開はすべて、AKPのスポークスマンらが、憲法草案をもはや10日あるいは15日以内に国会に持ち込むと発言した際に起こったことだ。

MHPのデヴレト・バフチェリ党首が議論の当初から、(廃止の時には政府と協力していた)死刑制度の復活とHDP議員らの処罰に関して賛成派であったことが知られている中、11月4日、ベシュテペにおいてエルドアン大統領との間で行われた会談で、大統領制と死刑制度に関し議論されたとの発表があったことは、偶然であろうか?

CHPのクルチダルオール党首は昨日、これらすべてが大統領制への土台を築く準備のために行われていると述べ、国が危険な道へと引っ張られていると主張した。しかしながら、CHPもまたこの結果に対し責任があることを忘れてはならない。

事実CHPは、2015年11月1日の選挙から今日にいたるまで、AKPによって大統領制に関する憲法に参加するという、あるいはHDPと同じポジションに押し込まれるという罠にかかったのだ。そしてそれは今も続いている。ゆえに(CHPは)HDP議員らの議員特権廃止の際にゆらいでいたのだ。

しかし、CHPやクルチダルオール党首が、AKPやHDPの方針とは異なるかたちで担うことのできる建設的な役割はまだある。クルチダルオールが非常に好むハンニバルの言葉、「我々は一つの道を見つける、あるいは一つの道を開く」にあるように、共和国を築いた政党は、新たな道を開くことを目指すべきではなかろうか。 

ヨーロッパ連合(EU)から寄せられた反応について考えると…そこには、あまりにも遅く、またあまりにも不十分と言えるだろう。

EUは、その短絡的な政治でもってトルコに対する建設的な影響力を失ってから、ずいぶんと時間がたった。

もはや「我々は(EUとトルコの)関係をないものとしていく」といった類の脅しは意味を持たない。EUからイギリスが離脱するいま、もはやEUは誰に対しても、何かをコミットできるような状態ではなく、また誰かを脅すような状況にもない。さらいえばEUは、トルコから流入し得るシリア難民に対する恐怖を明らかに示したような状態なのだ。

昨日、ケズバン・ハテミ氏とここ最近の出来事について議論していたとき、彼女はこう呟いた。「まるで、一つの手が再び何かを混ぜ始めたようです、失敗の上に失敗を重ねさせているような気がするのです。」

「一つの手」であろうと、過ちにおける主張であろうと、なんにせよ、HDP議員の逮捕は、ここ最近の失敗という鎖に、また大きな失敗をつなげたことになるだろう。 

我々(記者)は、書き続ける。国の、国民の利益になるという願いを持ちながら、いまなお、もしかしたら耳を傾けてくれる人がいるかもしれない、この過ちから戻れるかもしれない、と思いながら。

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( 翻訳者:木全朋恵 )
( 記事ID:41540 )