Murat Yetkin コラム:政府はギュレン派一掃の本筋に戻れ
2016年11月04日付 Hurriyet 紙

昨日議会で共和人民党(CHP)議員のレヴェント・ギョク氏のジュムフリイェト紙に関する問いかけに答える際、ベキル・ボスダー法相の顔からは困惑が読み取れた。

昨日、11月2日にCHP副党首のセリン・サイェク・ヴォゲ氏が議題として取り上げた、ODA・TVのヴァルシュ・ペフリヴァン氏の報道は正しかったと分かった。そう、ジュムフリイェト紙がギュレン派組織(FETÖ)とクルディスタン労働者党(PKK)両方とつながりを持っていると主張する検察官のムラト・イナム氏自らが、ギュレン派組織に関する調査対象となっていたのだ。

大臣はその後悔の念を「このようなことが起きなければよかった、遺憾である」と言い、彼の任命を検査総局が行ったと述べた。

ボズダー氏がどれほど「検査官自らは証拠に数えられない」と言って状況を収めようと努めても、ジュムフリイェト紙の調査は信頼性を損ねられた状態にある。

(ギュレン派の疑いのある)その検察官はその職にとどまっているべきではなく、我々の同僚(である新聞記者)は留置所に拘束されるのではなく、釈放されるべきである。

この例は、教訓を得ようと思うものには、以下の複数の教訓を示している

1.政府機構の内部に自らの正体を隠せているギュレン派の人間がまだ存在し、いつでも行動を起こすことができるということは、無視されえない可能性である。

2.ギュレン派組織に対して、低層部への捜査が徹底的に行われる一方、上層部や政治的なつながりに対しては手が付けられないという認識が、社会における不安を増幅させ、この組織を後押ししている。

3.政府が非常事態宣言(OHAL)の枠内において、KHK(特別法)により行った諸策は7月15日の流血のクーデターの企てを明らかにされることと、それに責任を負う者たちが処罰されるという目的をはるかに超えている。注意して見てみると、政府が民主主義世界で受けた批判は、クーデターとの戦いというよりもむしろ多くの報道、表現の自由、権利の制限、反対意見の制圧のような領域においてある。

更に言うことは可能だが、このへんでやめておこう

7月15日の流血のクーデターの計画に関する調査は、並行して行われている他の多くの調査によってうやむやにされている。

社会の注意は分散されていて、忍耐力を使い果たし、不公平な扱いへの不満がささやかれ始めている。

そもそも、クーデターの計画には、一握りの少数派以外のすべての人々が反対したのだ。タイイプ・エルドアン大統領が国民の抵抗を呼び起こし、野党のリーダーは、エルドアンの招集を聞く前から反対のスタンスを表明し、メディアは健全な振る舞いをし、ボスポラス大橋では民衆の抵抗があった。これら、すべての一つ一つが重要であり価値がある。

それでも、イルケル・バシュブー氏が国会の委員会で述べたように、軍と警察、諜報機関の、だが何よりも軍の大部分がこのクーデターに関して反対しなかったなら、自らを戦車の前へ投じて犠牲になった市民たちだけでクーデターの企てはここまでの短期間で防ぐことができなかった。

「(第4代カリフの)アリーに支持しなくとも、(ウマイヤ朝を起こした)ムアーウィヤには反対する」という言い伝えがある…

トルコ国民と諸機関は7月15日から7月16日にムアーウィヤに反対したのだ。

今日過去に起きたことを見てみると、(諸勢力が終結した)「イェニカプの精神」と言われる多くの方向を含みこんでいた道が、一方通行で一車線の道に変換されようとしているという印象が広がっている。

つまり、ビナリ・ユルドゥルム首相と公正発展党(AKP)政府は7月15日にクーデターに対し同じ立場をとることを厭わなかった、左派の世俗主義者を追いかけるのをやめて、その注意や力をギュレン派が脅威となることを阻止することに注ぐべきである。

そうでなければ、エルドアン大統領から、しばらくしたら、もう一度「我々はだまされた。間違った情報を知らされた、同じ道を歩んでいた」という類の後悔の言葉を聞くことも、簡単におきるかもしれない。

しかしその間に、国が消耗し、国民が疲弊し、民主主義が次第にさらに浸食がすすむ。

政府がなぜ国内の闘争で絶えず、自ら新しい戦局へ切り開いているのか理解するのは本当に難しい。

しかし、目的が定まりさえすれば、世界のなかで、特に民主主義世界でトルコはより行動しやすくなる。

まだ、すべて手遅れではない。しかし、手遅れになる前に、7月15日クーデター捜査は、クーデターとその責任者に集中する必要がある。

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( 翻訳者:前口翠里 )
( 記事ID:41555 )