名優レヴェント・クルジャの負の財産―子供たち、相続放棄へ
2016年12月22日付 Hurriyet紙


この数か月間患っていた重病に屈し、67歳で世を去ったベテラン俳優のレヴェント・クルジャの子らが「相続放棄」の訴えを起こした。子供である2人の兄妹が、クルジャの借金のためにこのような判断に至ったといわれる。詳細は以下のとおりだ。

 がん治療を続けた病院で、67歳でこの世を去った、ベテラン俳優のレヴェント・クルジャの子らが相続放棄の訴えを起こした。最初の結婚でも2人の子がいるクルジャは、5か月前にこの世を去った。

■子らはレヴェント・クルジャの遺産を放棄した!

 レヴェント・クルジャとオヤ・バシャルの息子・ウミト・クルジャと、娘のアイシェ・クルジャは、父親の遺産を相続放棄した。兄妹は、クルジャの借金のためにこのような判断に至ったといわれる。

 クルジャは、全財産を子どもたちに残した。死去の2か月後、レヴェント・クルジャとオヤ・バシャルの息子・ウミト・クルジャと、娘のアイシェ・クルジャは、2015年12月3日にイスタンブル・アナドル初等裁判所に父親の遺産を相続放棄したいとして訴えを起こした。2人の弁護士・ハティジェ・ウチュム、 ゼイネプ・ユルドゥルム、ムラト・オジャクが起こした「相続放棄」の請願書では、トルコの民法第605条が根拠として示された。この条項によれば、法定相続人は遺産相続を拒否することができる。死亡日において遺産を残した者が支払い不能であることが明確か、あるいは公式に証明されれば、遺産相続を放棄できると考えられている。

 サバフ紙の報道によると、この状況では、相続人は死亡した者の債権や債務も免除される。一方、レヴェント・クルジャの遺産を放棄した娘と息子は、父親に借金があるということから、借金を自らが負わないよう訴えを起こしたといわれる。一週間後に判決を出したイスタンブル・アナドル初等裁判所は、請求は正しいと判断した。また申請は法定期間内に行われたと述べ、「ウミト・クルジャとアイシェ・クルジャは、父親の遺産を相続放棄することが決定された」と語っ た。

■レヴェント・クルジャとは?

 ベテラン俳優だったレヴェント・クルジャは、1948年9月28日にサムスンのラディキで生まれ、アンカラ国立音楽院・演劇部を卒業した。俳優、監督となったクルジャは、テレビ番組『それはそうだ』を17年間続け、印象的な個性を生み出した。同時に、数多くの演劇に携わった。

 1965年、ジュネイト・ギョクチェルの学生としてアンカラ国立劇場でデビューした。1966年、在学中に演劇『氷が解ける前に』に出演。直後、オルハ ン・エルチン劇場で即興劇とオルタオユンを演じた。その後、マルテペ・コメディ劇場、アンカラ連合舞台・市民俳優団に所属した。

 ヴァスフ・オンギョレンによって叙事演劇と出会う。オンギョレンの劇場で『人は人』、『アスィイェはどう救われる』、アズィズ・ネスィンの『生きもせず死にもせず生きる』に出演した。

 その後クルジャはテレビへと移り、数多くのシリーズの製作者となり、同時に各シリーズに出演した。シリーズには『気にせずに』、『念のため』、『ナスレッティン・ホジャ演劇列車』、『あなただったらどうした』、『この演技はどう演じるべきか』があった。

 1978年、映画『黄金の街』を製作。1979年には映画『今、何が起きるのか』を製作した。同年、友人キャバレー劇場を、また1980年にレヴェン ト・クルジャ劇場を創設した。その後、『青いムアッメル』(1985年)、『笑い死に』(2000年)、『終わり』(2001年)、『悪魔は何処に』 (2002年)、『放って行け』(2004年)を製作した。また同じ2004年には、映画『アーの娘』に出演した。こうした映画に出演する一方、映画『終わり』 のシナリオを執筆、同時に『終わり』と『悪魔は何処に』の監督を務めた。2006年製作の『レーティングの町』でも監督を務めた。

 クルジャは映画に携わる一方で、「ホドリ広場コミュニティ」という舞台グループを立ち上げた。このグループで『レ・ミゼラブル』、『3人の父・ハサ ン』、『女性たち』、『美女と野獣』といった舞台を演じた。かつての妻オヤ・バシャルも、これらの舞台の主要メンバーにいた。

 レヴェント・クルジャをトルコの人々に印象付けた最大の作品は、1988年に始まり21年にわたり放送した番組『それはそうなる』だった。番組での 「キュチュク・ヒュサメッティン」、「ジェヴァト・ケッレ」、「ベスタミ」のような個性的キャラクターは、長年記憶に残るものだった。番組は同時に、数多くの若い可能性を舞台へと送り出した。2002年末には「レヴェント・クルジャTV」というチャンネルを作ったものの3か月後に廃止され、ラジオ・テレビ高等評議会(RTÜK)に抗議するため数日間ハンガーストライキを行った。

 2009年、区長選で民主左派党(DSP)から出馬しウスキュダル区長候補になったが、4位に終わった。1998年、文化省から国家芸術賞を授与されたが、賞は2015年4月にはく奪された。クルジャは、サンクト・ベテルブルク蜜蝋彫刻美術館に本人の像がある、数少ないトルコ人芸術家の 一人だ。

 2011年3月1日から日刊新聞として続くアイドゥンルク新聞に寄稿した。同時に、祖国党の中央執行委員のメンバーを務めた。2015年7月に肝臓がんと診断され、治療を始めた。

 マルマラ大学ペンディキ教育研究病院で肝臓がんの治療を受けていた俳優・レヴェント・クルジャは、2015年10月12日、67歳でこの世を去った。

■結婚歴

 最初の結婚:1975年にTRTの記者・ディレクターをしていたヌル・ディネルと結婚。1985年に離婚した。この結婚でオールジャン・クルジャとオズデシ・クルジャの2人の子供を授かった。

 2度目の結婚:1985年にオヤ・バシャルと2度目の結婚。この結婚ではウムト・クルジャとアイシェ・クルジャの2人の子供を授かっている。2000年に離婚し、2001年に再婚、しかし2005年に再び離婚した。

■主な演劇舞台

2012年:『少数派』
2011年:『風車』
2009年:『3人の父・ハサン』
2008年:『トロス・モンスター』
2005年:『火の落ちた場所』
2000年:『レ・ミゼラブル』
1999年:『美女と野獣』
1983年:『女性たち』
1982年:『将軍たちの恋』

■脚本

『二幕の聖人』
『要件を考える』
『ネモ銀行』
1970年:『演劇はどのように演じるべきか』

■映画等

2011年:『妻が話し、弾いたコントラバス』
2010年:『終着駅』
2009年:『それはそうなる』(TV番組)
2006年:『レーティングの町』(出演・監督)
2004年:『アーの娘』
2004年:『放って行け』
2002年:『悪魔は何処に』(出演・監督)
2001年:『終わり』(出演・シナリオ・監督)
2000年:『3人の父・ハサン』(出演・監督)
2000年:『笑い死に』
1986年:『再・それはそうなる』(TV番組)
1985年:『青いムアッメル』
1979年:『今、何が起きるのか』
1978年:『石の土地、黄金の街』
1974年:『生きもせず死にもせず生きる』(TV番組)

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(翻訳者:貝瀬雅典)
(記事ID:41814)