YPG、在シリアのオスマン朝故地をISから奪還
2017年01月07日付 Cumhuriyet紙


アメリカ主導の多国籍軍に空から支援を受けたシリア民主軍が地上で実行したラッカ作戦で、オスマン帝国建国者オスマン1世の祖父であるスレイマン・シャーの墓が以前にあったジャベル城が、イスラム国テロリストより取り戻された。

多国籍軍の空からの支援とともに、核をシリア国連民主軍(PYD)の武装集団、クルド人民防衛隊(YPG)が構成しているシリア民主軍はラッカ作戦を続け、衝突は10日間に渡りユーフラテス川左岸に残るジャベル城の周りで激しさを増していた。シリアとイラクにあるクルド・インターネットサイトは、東と西にある2つのジャベル村をイスラム国から取り戻すこと、続けてその2つの村の間にあるジャベル城もテロ組織から奪還したと宣言した。

オスマン帝国建国者オスマン1世の祖父であるスレイマン・シャーの墓がかつてあったジャベル城がイスラム国よる救い出されたことについては写真とイメージ画像が前述のクルド・インターネットサイトでもシリア民主軍のSNSアカウントでも共有されている。ラッカ作戦で起きた衝突で今までにアメリカ人、イギリス人、カナダ人を含め、YPG兵士が亡くなっている。

■スレイマン・シャーの墓はかつてジャベル城にあった

歴史上、ウカイル朝、ホラズム朝、マムルーク朝、そしてトルクメン部族の手にあったジャベル(城)のトルコ人にとっての意味は特別である。オスマン帝国建国者オスマン1世の祖父スレイマン・シャーは2人の護衛とともにユーフラテス川を渡っている時に戦死する。遺体はこの城に埋められた。何世紀か後にセリム1世は城をオスマン帝国の領土として、スレイマン・シャーが2人の護衛とともに埋められた場所へ墓を建てた。

ジャベル城は1921年11月20日にトルコとフランスの間で成立した条約でもってトルコの領土とされ、またそこでトルコの国旗を掲げることと護衛の兵を配置することの権利が認められた。シリア政府は、ユーフラテス川に1968年に建設が始まったタブカダムが1973年に完成する事とダムで水が貯まり始めるとジャベル城とスレイマン王の墓が完全に水の下に沈むことを主張し、トルコに対し移動を要求した。なされた同意でもってスレイマン・シャーの墓は1973年にカラコザック村へ移された。2014年3月13日の自由シリア軍とイスラム国の間での衝突の結果、カラコザック村と墓があった地域がイスラム国の統治下にされた。2015年2月22日にトルコ国軍は増加した安全問題とイスラム国の脅威を理由に「シャー・フラト」という名の軍事作戦を行い、墓にいた40人の兵士を国へ連れ戻すためにシリアへ入った。

墓にあったスレイマン・シャーの遺体と他の宗教的価値のある品々を取り戻した後、スレイマン・シャーの墓と近くの基地を爆破した。

スレイマン・シャー記念駐屯地は、2015年にシャンルウルファ県のビレジク郡の向かい、国境に近いシリアのエスメ村に建てられた。

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(翻訳者:松下奈央)
(記事ID:41921)