戒厳令法による追放、大学教員330人を含む公職追放4464人に
2017年02月08日付 Hurriyet 紙


非常事態(OHAL)における686号の非常事態特別政令(KHK)により合計4464名が公職から追放され、17名が復職した。KHKによって国民教育省から2585名、内務省からは49名、警察総局からは417名、軍警察総司令部からは893名が公職から追放された。KHKで330名の学者らもまた追放された。追放された人々の中にはマルマラ大学に勤めるイブラヒム・カブオール教授、生徒らから「伝説」と称されている82歳のオゲト・ オクテム・タニョル教授も含まれる。カブオール教授はマルマラ大学憲法学科学科長職を務めていた。

非常事態(OHAL)において発布された686の非常事態特別政令(KHK)によって4464人が公職より追放され、17名は復職した。KHKでは333 名の学者らもまた追放された。KHKで公職追放を受けた330名の学者の内、マルマラ大学憲法学科長イブラヒム・カブオール教授も含まれている。

官報の修正号で発布された政令によれば、4464名が公職より追放された。これによると国民教育省からは2585名、軍警察総司令部より893名、警察総局からは417名、最高裁判所から10名、高等選挙委員会から10名、内務省より49名、外務省から48名、そしてトルコ・ラジオ・テレビ協会(TRT)からは88名が追放された。

KHKによると、警察総局より、警察署長も含む417名が追放された。更に高等選挙委員会からは10名、最高裁判所からも10名、資本市場委員会から1名、 集合住宅局(TOKİ)より2名、TRT80名、ワクフ総局2名、EU担当省3名、外務省48名、経済相15名、内務省49名、軍警察総司令部893名、沿岸警備司令部3名、文化観光省16名、国民教育省2585名が公職から追われた。

■330人の学者らも追放

高等教育機構(YÖK)に所属する330名の研究者らも公職を追われた人々の中に含まれる。アンカラ大学から合計70名の学者らが追放された。KHKによってマルマラ大学に勤務するイブラヒム・カブオール教授もまた追放された。カブオール教授はマルマラ大学憲法学科長を務めていた。

■伝説の教授も追放

KHKのため追放された330名の研究者らの中には憲法学科長イブラヒム・カブオール教授とともに、生徒らから「伝説」と謳われた82歳のオゲト・オクテム・タニョル教授も含まれている。人権と法律分野での研究で知られるビュレント・タニョル教授の妻でもあるオゲト・オクテム氏はトルコに臨床神経心理学を持ち込んだ人物である。

昨日のKHKでビリム大学準教授セブダ・ブルドゥク博士とともに追放されたオゲト・オクテム・タニョル教授は、「学者の平和イニシアチブ」署名運動に参加していた。昨日の追放でアンカラ大学を筆頭にガーズィ大学、アナドル大学、エスキシェヒル・オスマン・ガーズィ大、イスタンブル文明大、ギレスン大、カフカス大学から330名の研究者が追放された。

■政治歴史学科学科長も追放

マルマラ大学から追放された人物の中には政治史学科学科長ユクセル・タシュクン教授もいた。『AKP期:トルコ政治』という書籍を執筆したタシュクン教授は 1972年リゼ県パザール郡で生を受けた。1994年にボアズィチ大学の政治学と国際関係学科を卒業した。同学科の大学院修士課程(1995)と博士課程 (2001)を修了した。2002年からはマルマラ大学経済・経営学部政治学と国際関係学科で研究活動を継続し、2009年には準教授となった。 ニューヨーク大学近東研究センター(1999-2000)、オランダにある近代世界におけるイスラム研究国際機関(ISIM)を2005年-2006年秋まで、アメリカのノースウェスタン大学、バフェット国際比較研究センターで2011年-2012年春まで客員講師として在籍した。トルコ右翼の様々な糾合について行った学術研究の一部がイレティシム出版編集の『近代トルコにおける政治思想』というシリーズ本で掲載されている。『ビリキム誌』でもタシュクン氏の様々な論文が掲載されているが、彼が興味を抱いた他の問題は「政治社会学」、「知識人階級と社会運動」、「中東での社会と政治」が挙げられてい る。出版された著作は以下の通りである。『反共産主義から反グローバリズムへ―ナショナリズム、保守、インテリ』(イレティシム出版、2013)、 『AKP時代―トルコ政治、イスラム主義、アラブの春』(ビリキム出版、2013)、『1960年から今日までのトルコ史』(スアヴィ・アイドゥン共 著、イレティシム出版、2014)。

■アンカラから72名の研究者

追放された研究者らの内115名が「平和のための署名活動」の参加者らであることが判明した。72名の研究者らが追放されたアンカラ大学がリストの一行目に載った。医学部、政治学部、マスコミュニケーション学部、言語・歴史・地理学部、経済・行政学部、音楽及び舞台芸術、法学部、理学部、外国語高等学校、社会及び人類学研究所、教育学部、美術学部、学長府から追放された人々の中には16名の教授、10名の準教授がいた。アンカラ大学に次いで追放者が多く出た大学は28名でアナドル大学、27名のユルドゥズ工科大学、23名のマルマラ大学、16名でエスキシェヒル・オスマンガーズィ大学、13名の追放者が出たジュムフリイェト大学であった。

■公立及び私立大学から追放された研究者の数

アバント・イッゼト・バイサル:5名、アドゥヤマン:3名、アドナン・メンデレス:3名、アフヨン:1名、アヒ・エブラン:2名、アマスヤ:3名、アナド ル:28名、アンカラ:72名、アタテュルク:1名、バルケシル:1名、バルトゥン:1名、ベイケント:3名、ビレジキ・シェイフ・エデバリ:7名、ビンギョル:1名、ボゾク:15名、ジュムフリイェト大学:13名、チュクロヴァ:3名、ドウシュ:2名、ドゥムルプナル:22名エルジィエス:7名、エルズィンジャン:1名、エスキシェヒル・オスマンガーズィ:16名、ガーズィ:2名、ゲブゼ工科:1名、ハッキャーリ:2名、ウードゥル:1名、イスタンブ ル・アイヴァンサライ:1名、イスタンブル科学:2名、イスタンブル文明:3名、イスタンブル大学:1名、イスタンブル・イェニ・ユズユル:1名、カフカス:11名、カラデニズ工科:1名、クルッカレ:1名、キリス:2名、コジャエリ:1名、マルマラ:23名、ムーラ・ストク・コチマン:3名、ムスタファ・ケマル:1名、ナームク・ケマル:1名、ネブシェヒル・ハジュ・ベクタシュ:1名、オルドゥ:1名、パムッカレ:21名、レジェプ・タイイプ・エルドアン:2名、トラキヤ:3名、ウルダー:2名、ウシャク:2名、ユルドゥズ工科:27名

■17名が復職

一方で、以前に職から遠ざけられていた2名の警察総局局員、1名の内務省地方行政職員、1名の文化観光省職員、9名の国民教育省職員、4名の保健省スタッフらは復職した。アメリカで教育を受けた2名の学位も復活した。

■242名の退職した警察局員の地位と権利も剥奪

OHAL下で発布された686号の非常事態特別政令(KHK)により、退職者、自主退職者または免職となった警察局員のうち、フェトフッラー主義テロ組織/パラレル国家構造(FETÖ/PDY)に所属、関係または接触している242名の地位ははく奪となった。

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( 翻訳者:市野太音 )
( 記事ID:42131 )