ユルドゥルム首相「投票結果で、喜んで辞任する」
2017年04月01日付 Hurriyet 紙

ビナリ・ユルドゥルム首相は昨夜、CNNトルコとチャンネルDの共同放送で司会のハカン・チェリキ氏の質問に答えた。首相の回答は次のとおり。

■ワンマン政治への懸念

「初の市民による憲法改正が行われようとしている。憲法改正自体は初めてではないが、統治システムの変更が国民の意思の手で行われるのだ。共和人民党(CHP)はワンマン政治を懸念し続けているが、過去の自分達の姿でも思い出しているのだろう。新システムはむしろワンマンに制限をかける。10年の上限があり、周りがどれほど望もうが、あるいは国民から「去らずに続けてほしい」と言われようが、10年を超えることはあり得ない。」

■おまえが決めることか

(CHPの「首相を守りたいと考えている」発言に関しては)CHPを見て欲しい。彼らが今までどこにいたのかを。CHPは羊のふりをする作戦だ。静かに、激高せず、そして答えない。見た人は思うだろう、CHPは変わったと。いや、変わってはいない。いまCHPは、罪のない被害者の役を国民向けに演じながら-これは狡猾な戦略だ-「自分達は首相を守りたいのだ」と言っている。兄弟よ、首相を守るのが、君とは!私を守るのではなく、新システムで自分達が政権につく道を探してはどうか。私が個人的野心や首相の椅子を手放すことを望み、この決断に自ら同意し、進んで辞任するとしたら、それはトルコの将来にとって重要だと考えるからだ。

■(国家を)狙わせない

(他教団や宗教グループの強大化が脅威となりうる可能性は?という問いへ)私は絶対にあると考えている。しかし必要な対策はとっている。対策をしなければ、別の場所でまた起こりうる。こうした組織は存在するが、合法的に活動を継続し、国家運営を狙ったりさせない。非常に強大になると、「おお、私はすごいんだ、我々はなんでもできる、政権を交代させよう」となる。かつてメディアも操っていた。そうしたことにならないために強力な政権と安定性、そして信頼性を築くことが必要だ。

■イラクの側にたつ

キルクークはトルクメン人の土地である。トルクメン人の反対があったにも関わらず、クルド側は(キルクークの公共施設にイラク・クルド自治政府旗を掲揚する)決定を下した。こうした領土拡大は認められるものではない。決定がなされる前に我々は必要な警告を行った。決定後もだ。この件については我々はイラク中央政府を支持する。そしてあの決定は不正であると考えている。

■ギュレン派のトリック

(ハルク銀行のメフメト・ハカン・アティッラ副総裁が米国で逮捕されたことは)理解できない。彼は2014年以降7~8回にわたって米国とトルコを行き来し、逮捕の原因となったというレザ・ザラブ訴訟が始まってからも行き来はあった。これまで何もなかったのに今回は逮捕された。イランに資金を振り込んだ際に彼の署名があったというのが理由だ。そんなことは今になって初めてわかったことではない。それが理由ならこれまではなぜ何もなかったのか。ここにもギュレン派のトリックがある。

■死んだ状態か生きた状態で

(トルコ軍の逃亡イマーム・アディル・オクスズがどこかの在外公館にいるという噂に関して)捜索されたのに発見されなければ、こうした噂が話題になる。どこにいようが我々が見つけ出す。死んだ状態か生きた状態で。

■ギュレン派の政治家のなかでの浸透はない、あるというならクルチダルオール党首は説明を

ギュレン派の政治家のなかでの浸透はない。彼らのことは一掃した。もし我々の知らないことでもCHPクルチダルオール党首が知っているというのであれば説明してほしい。私がないと言っているのに、あると言うのであればどうぞ説明してほしい。人々の心をかき回さないでほしい。我々は誰をも匿っていない。国会議員だろうが実父の息子(兄弟)だろうがギュレン派を匿うということはない。

■ウルケル社「4月1日」テレビCM

(問題のテレビCMは)見てはいないが話は聞いている。自分の目で確認した訳ではなく、説明を受けた。不適切でばかばかしいことだ。人々にとって、ある意味クーデターの日々を想起させるよう一連の表現があるそうだ。たとえば報復とか、そういったものが登場するらしい。自身の姉や兄というのが何を指すか私は知らない。不適切ないくつかの表現を含んでいる。そもそも、現在、トルコ社会は緊張している。それを刺激するような不幸なテレビCMだと言える。

実際にはエイプリルフールのジョークだと思われる。とはいえ、確かにウルケル社はすでに会見で不適切さを認めたはずだ。当然、こうしたものに対し、今日、誰しも一層の責任感をもった注意深い振る舞いが必要である。国民の繊細さに敬意を払う必要がある。トルコ国民はこうした話題に素早く反応するし敏感だ。どんなに小さな出来事でもすぐに詮索される。例えば私に電話で「首相、今日、我々の部隊では休暇が取り下げられました。気をつけてください」という。こういうのもよいことではない。何度も「もしや今晩なにか起こるのだろうか?」と恐怖で人を疑心暗鬼にさせられる権利は我々にはない。

あるいは、ペンシルバニアから暗号付きメッセージが来る。暗号を解読する、師の言葉を解釈する専門家達がいる。ギュレン師がああ言ったこういったというコメントをする。コーヒー占いのようなものだ。しまいには「3時までにあれが起こる、これが起こる」という。こんなことで国民の頭を疲弊させられるいわれはない。こういったものはすべては空虚な慰めだ。トルコ国民は7月15日にどんな行動をとるかをはっきり示した。トルコ国民は安心してもらいたい。我々はトルコ国民の名で、人々を守る。彼らの責任は我々の肩にかかっている。

彼らが安心して眠り、生活できるようにするのが我々の任務だ。しかし、とはいえ、愚かな真似をする必要はない。処方箋もない。誰かが愚かな真似を行う可能性がある。実行されればそれに対する報復がなされ、代償が支払われる。非常にシンプルだ。

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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:42406 )