小学校筆記体授業の必修廃止、児童大喜び
2017年03月31日付 Cumhuriyet 紙


国民教育省は、保護者や生徒たちからの長きに及ぶ批判の原因となっていた筆記体の必修を廃止した。履修は中学校第1学年以降、選択制となる。専門家らはこの措置に関して異なる見解を示している。

保護者や生徒たちからの長きに及ぶ批判の原因となっていた筆記体の必修が国民教育省により廃止された。履修は中学校第1学年以降選択制となる。

国民教育省のこの決定は、教育界で議論の種となった。この決定を正しいと思う教育者もいる一方で、完全廃止は間違いであり、筆記体は段階的に適用される必要があるといった見解を示す教育者もいる。文字を書くことの利点を主張する教育者らは、筆記体で書くことで子どもたちが速く書くことや、脳神経の接続を発達させることにつながると主張した。

■メフメト・バルク氏(教育労働組合長):「まったく不適切だった」

「12年間適用されてきたこの方針で、就学開始年齢が下がったことも影響して、生徒たちは文字を筆記体で書くのに苦労していた。筆記体により、子どもたちはきれいに字を書かないようになった。手と指の筋肉が完全には発達していないため、読みやすい字を書くことができない子どもたちは自信も失ってしまっている。小学校に新たに入学する子どもに関して私たちが一番心配するのは、字の美しさではなく、字を書くことや学校を好きになることでなければならない。字はとてもきれいだが書くことが嫌いな子どもを育てることに意味はない。筆記体に移行するにあたって、学者らの提案を考慮せず、導入の土台をつくることもせずに、『私がやってやったぞ』という論理で行動する国民教育省は、この件でも大失態を犯した。いま、これほどの混乱と失敗を引き起こした筆記体の適用を、またも事前の準備や調査を行うことなく、廃止することが発表された。しっかり準備された計画、プログラム、措置があった上で筆記体は廃止されなければならず、さらに読み書きの教育は、2005年以前のような演繹的な方法に立ち戻らねばならない。国民教育省は、このような不適切な措置を一刻も早くやめるべきだ。」

サキン・オネル氏(元ヴェファ高校校長):「選択制は間違っている」

「決定は正しいと思うが、完全選択制となるのは間違っている。以前の制度であったように、生徒はまずブロック体で大文字と小文字の違いを学び、それから段階的に筆記体へと移るべきだ。この措置は教育上の観点から間違っている。筆記体は、より速く書くこと、とりわけメモを取る際にメモを完全に取ることを簡単にする書き方の1つだ。時間という点でとても利点がある。これゆえ必ず生徒は筆記体を学ぶべきだ。」

ムスタファ・オズジャン教授(MEF大学教育学部長):「決定は正しい」

「筆記体の導入がそもそも間違いだった。子どもたちの筋肉の発達にそぐわないものだった。必ず筆記体で書くように子どもたちに押しつけるのは教育上の観点からも間違っている。そのため国民教育省の決定は正しいと思う。ただし筆記体の代わりに用いられるブロック体も強いないようにする必要がある。特に幼い年齢のうちは柔軟でなければならない。大切なのは、子どもたちが正しく書くことを学ぶことだ。文字がブロック体か筆記体かは二の次である。ゆえに、1年生から5年生の児童の個々の差異に注目しなければならない。中学校と高校で選択科目として学ばせることについては正しいと思う。生徒は正しく書くことを学んだ後で、審美的な意味で文字をより良くしたいと思うのならこれ(筆記体)を学ぶ環境にあるべきだ」

ハリル・ウルケル教授(アトゥルム大学教育学部):「これはiPadではできないことだ」

「筆記体の廃止に関して科学的な根拠はない。筆記体は、生徒を出来る限り鍛える手法だった。とりわけ、近接した文字同士の関係を認知することで脳内に起こる影響や、指の筋肉組織の発達といった重大な利点があった。現在は子どもの前にノートパソコンが用意され、決まったフレーズを書いている。集中や気づき、共感、努力、達成感といった価値観が教育制度からなくなりつつある。筆記体は子どもが脳神経をよりよく使えるようにする。iPadではこうしたことはできない。今や子どもたちは、試験と言うとテスト以外のものを知らない。3年生以後は文を書かないそうだ。筋肉の発達を彼らは述べている。子供の筋肉が、筆記体も書けないほど発達していないというなら、カバンすら持ち運べないということだ。保護者は過保護であり、自分の子どもを世界の中心にしている。」

■2004年にカリキュラムへ導入

筆記体はトルコ共和国の初頭以降教育課程に加わり、共和国初期の世代に見られるかなり特徴的な書き方として際立っていた。その後の数年で変更され、1年生はブロック体を使って文を書き、2年生・3年生になると段階的に筆記体へ移行していくという措置が採用された。1997年、国民教育省によって、教師に対し1年生から筆記体を指導することを奨励する決定がなされたが、2004年までこの件について進展は見られなかった。2004年、トルコ語教育プログラム内で再び見直され、筆記体がカリキュラムに加えられることが決定した。しかしそれ以来ずっと、多くの保護者や生徒らが筆記体の難しさに不平を唱えた。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:金戸 渉 )
( 記事ID:42412 )