Abdulkadir Selviコラム:AKPで新しい展開あるか?
2017年04月20日付 Hurriyet 紙

デミレル、エジェヴィト、エルバカン、チュルケシといった、旧リーダーたちの政治活動禁止措置の廃止に関連する国民投票は、僅かな差で認められた。

 賛成票の得票率は50.16%、反対票の得票率はというと49.84%であった。その差は75,066票だった。

 デミレル[元大統領]は、禁止措置をなくすために賛成キャンペーンを実行した。そしてトゥルグト・オザル首相は反対を訴え、二人の間では激しい争いが生じていた。

 国民投票では、禁止措置はほんの僅かの差で廃止となった。メフメト・ケチェジレルは、祖国党(ANAP)の組織委員長であった。深夜1時半~2時近くにオザルへ電話を掛けた。「組織から結果を聞いている。一部場所で反対を賛成と、また、賛成を反対と人びとは書いた。集計で間違いがなされた。私はこれらを集計した。賛成は75,000票上である。しかし、確認した所、75,000票の差はなくなり、それどころか反対が40,000~50,000票勝っている」と述べた。オザルは興味深く聞いていて、ケチェジレルは熱心に説明していた。

 「私は自分の意見書を用意し、明日直接、高等選挙委員会(YSK)へ赴き、異議を申し立てる」と述べた。オザルはその時、少し慌てた。(オザルは、) 「まぁ、そうすぐに行くな。明日私の所へ来て、そのことについて話してから」と言った。ケチェジレルは意見書を用意した、そして朝、オザルのところへと赴いた。「意見書は準備できた。YSKへ異議を申し立ててくる」と言った。オザルは、「メフメト、僅かに賛成が上回るのは、国益となるのだ。反対を訴え続けられない。国外で私達に不利になる。異議を申し立てるな」と述べた。

 ケチェジレルは異議を申し立てなかった。もし彼が異議申し立てをしていたら結果がどうであったかは、わからない、しかし議論が生じずに、かつてのリーダーたちの禁止措置はなくなった。国民投票では、決定がほんの僅かの差であれ、結果は大きなものである。75,066人の決定をもって、禁止措置の中から1人の大統領、3人の首相が出た。デミレルは、まずは首相、その後大統領となった。エルバカンとエジェビットは首相の地位についた。

■エルドアンは党首

 公正発展党(AKP)には、まずあるスケジュールがある。最終結果が開示された後、エルドアン大統領は政党員になる。

 しかしAKPの事情通によると、エルドアンは政党のメンバーとなるだけでは満足しない。臨時集会を招集し、党首に選ばれる。このように2002年にエルドアンは党首、アブドゥッラー・ギュルは首相というモデル同様に、しばらくの間エルドアンが党首、ビナリ・ユルドゥルムが首相である期間ができる。

 AKPは国民投票で勝ったが、一方で有権者からの警告も受けた。現在は、新たな対面と再生の時である。国民投票の後、速やか正常化することが待たれていた。ユルドゥルム首相の、「81.7%が賛成といったバイブルトも、80.4%が反対といったトゥンジェリも勝利を手にした」という言葉は、これを指していた。しかし、正常化が容易ではないのは明白である。

 国民投票の結果を注意深く分析すれば、大都市を中心に深い動きが届いている。オザルは1989年に地方選挙で大都市を失うと減退し始めた。民主左派人民党(SHP)と福祉党の上昇は、大都市の獲得とともに始まった。大都市の結果は、AKPでは「早期警告」と受け取られた。教育があり都市出身の層に向け、新たな政治的言葉を作ることが考えられている。

■クルド問題への視座

 重要な点の一つはクルド票だ。国民投票の夜の逸話をひとつ伝えたい。

 中央執行委員会会議では民族主義者行動党(MHP)と提携しているにもかかわらず、クルド人の支援が10%増加したとし、「この状態でクルド政策はどうなるのか?このメッセージに注意を払い、私達は社会的・民主的解決を議題とすべきなのか、もしくは現行の政策を強化し継続していくのか?」という問いが議題にあがった。

 テロとの闘いを成功裡に続けるスレイマン・ソイル内務大臣は次のように話す。「現行政策のおかげで、クルド票は増加した。これを強化しながら継続していく必要がある。」

 この状態は、クルド問題へのアプローチがこのように継続していくという意味なのか、それとも新たな交渉が論点となるのか?

 AKPは、歴史的決定を下す時にある。新たな言葉と政策を検討している。

 しかし、この面で進展があるというには時期尚早である。希望を抱くのは困難である。

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( 翻訳者:関口夏海 )
( 記事ID:42527 )