Nuray Mertコラム、どこから始め、どう説明しようとも
2017年06月19日付 Cumhuriyet 紙

先週はコラムを書かなかった。選挙前のロンドンに行っていたからだ。もちろん、休暇ではなく、少しロンドンがどうなっているのかを取材したかったからだ。実際に、ロンドンは非常に活発で陰鬱だった。私は、西側世界を夢のある国としてみている人間ではない。

私が若かった頃に広く流布していた「人々は地下鉄の中でさえ本を読んでいる」といった噂をまったく真に受ける必要がないことを若い頃から理解していた。なぜなら、地下鉄でジョン・ロックやシェイクスピアではなく、安っぽい小説を彼らが読んでいることを知っていたからだ。

また、選挙前に内閣を支持していたメディアが出した、野党の党首コルビンを筆頭に野党関係者を「テロリストの協力者」とレッテルを張った見出しに驚きを禁じえなかった。「私たちと全く変わらない」と言おうとしたが、違う点が一つあった。それは、この発言によって政権が選挙に負けたのだ。

ちょうどこれらを書こうとした時、ロンドンで選挙後に恐怖の火災という悲劇が起こった。裕福な地区に貧しい人々が暮らしているグレンフェルで起こった悲劇であった。西側諸国で生まれている不平等と不公正が目の前で展開された。実際に、選挙で敗れて厳しい批判にさらされた与党の党首メイは、厳しい反感の標的となったが、もっと重要なことは、平等と公正という問題が大規模に議論されたことだ。

まさに立ち上がってこの問題を取り上げよう、少し世界で何が起きているのか触れよう、こういったことを考えようとする中、共和人民党の国会議員エニシュ・ベルベルオールがスパイ容疑で拘束され、トルコでは誰も自国の話題から離れられない状況で、私も急いでトルコに戻る必要が生じた。

どれほど「もはやこの国ではどんなことにも驚かない必要がある」と言ったところで、主要野党の国会議員をこうした容疑で断じ、その後、与党周辺が呈した態度と最終的に大統領が野党に向けて「あなたたちにも順番が来るかもしれない」という発言がでて、驚きを越えるものとなった。全てこうした事ごと、野党のリーダーであるクルチダルオールが他に打つ手がないため街頭にくり出したことは、「どのような国なのかここは」という問いへの答えを徐々に難しくしている。

「なす術がない」と私たちが言ったならば、まさに希望なくお手上げになり、なす術が街頭に繰り出すことだと言ったならば、「その結末は」という杞憂が人々を恥ずべき無力状態に押しやる。

しかし、このような条件の下で最も距離をとるべき無力感とは、つまり、私たちに強いられる事ごとに、降伏の圧力に負けることである。また、気分が楽になると行って、「無力感に敗れる代わりに街頭に繰り出そう」とは言えない。

他方、コップを溢れさせる最後の一滴と言うだろうが、コップはもうずっと前に溢れてしまっていないか。人民の民主主義党(HDP)の共同党首たちを始めとして、かなり多くの国会議員と政治家が、どれほどの間、刑務所におり、彼らのために十分な声を上げただろうか。政治家だけでなく、反対の声を上げた多くの人々が様々な種類のテロ容疑で刑務所に入り、職を失い、この間に議会制は終了し、国の体制は変わった。

これは何と大きなコップであることか、どうしてもっと前に溢れなかったのかという問いは、頭だけでなく精神を蝕む。「再びある場所から始めなければならない」と言うならば、本当に何を始めるのか明白であるのか。さもなければ行進の行く先は、本当はイスタンブルにではなく、ニーデへ向かってなのか。

人々は無力感に敗れないようもがくにつれ、この問題の中におぼれる危険性に直面している。最も良いのは、フィルムを巻き戻して、全てこれらを再び深く考えることであり、おそらくその時にどの道に向かうか、どこに行き着くのかがより明確になり、よりよい道を選べる。

メモ:今日は、ナズル・ウルジャク、メフメト・アルタン、アフメト・アルタンの最初の公判の日であり、彼らは何ヶ月も拘束されている。彼らの考えを気に入ろうがそうでなかろうが、三人は終身刑で裁かれよう。彼らが「テロ犯罪」を犯すことができないことをわかっている、他の多くの人同様に、誰一人として少なくとも忘れることはしまい。

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:42835 )