引っ越すしかない:サムサト郡
2017年06月25日付 Hurriyet紙


アドゥヤマンのサムサト郡は、1983年に建設が始まったアタテュルクダムの底に沈む可能性があるため、29年前に5km離れた場所に移転した。

■地震で被害を受けた。

アドゥヤマンの南にある活断層に上に作られた新サムサトは、3月にマグニチュード5.5の地震で大きな被害を受けた。政府によって、1988年つまり29年前に住民のために建設された住宅の78%が住めない状態になった。住民は、約4カ月間テントで生活している。テントのカフェで人々と交流し、祈りはテントのモスクで行っているサムサトの人々は、郡の再移転を望んでいる。今回の方角は、郡の中心地から5kmの距離にある、トルコ宗務庁がモスクの複合施設を建設しているサハベ・サフヴァン・ビン・ムアッタル廟の隣である。

■郡の3分の1は転居した。

3月2日の地震で郡の中心にあった979軒の建物が被害を受けた。村で被害を受けた建物の数は、サムサト郡とその周辺で地震の被害を受けた建物は、2,195にものぼる。被害を受けた多くはというと、1987年に政府によって建てられた住宅である。地震後に人口3,900人のサムサト郡の3分の1が、45km離れたアドゥヤマンに転居した一方、郡での生活はAFADとクズライによって作られたテントで続いている。
24人の職員が働いているサムサト郡役場は、1987年に作られた建物の一つである。地震のため、深刻な被害を受けた役場の庁舎は使用できない状態になったため、役場はテントで住民にサービスを提供している。郡長のユスフ・フラトは、「地震後に私たちは建物を取り壊した。新しい役場の庁舎がいつ作られるかは、未定である。地震が、行政サービスの低下の原因になった。地震後にサムサトにもたらされたコンテナは、現在故障中である。このため、人々がテントにとどまり続けなければなりない。」と述べた。地震に関する全ての計画を指揮している郡長の庁舎の壁にも、亀裂が入った状態だ。町で唯一の銀行であるトルコ農業銀行の建物も地震で被害を受けたため、銀行の業務はコンテナの中の銀行で解決している。町で唯一、被害のなかった建物はというと、新しく建設された病院である。

■テントの家、テントの店

地震で自宅の被害の大きかった住民はというと、テントでの生活に不満を抱いている。ゼキエ・オゼルチは、「日中は暑くてテントに入れない。家中に亀裂がある。日中は、家の中に入って料理を作っている。夜間はテントで過ごす。全ての住民が、この状態である。」と述べた。大きな被害を受けたにもかかわらず、日中は家の中で過ごさなければならないと述べたナイレ・ボザネルはというと、「ラマザンの前はテントで過ごしていた。空腹と暑さ。子供たちは、テントの中は暑いため病院に見てもらっている。このため、断食は非常に困難である。」と述べた。サムサトで人々交流できるのは、唯一テントのカフェである。カフェのオーナーであえるムスタファ・クマイは、「私たちの店が役場の庁舎の下である。建物が地震で被害を受けたため、店を取り壊さなければならなかった。テントでカフェを作ってみた。カフェへやってくる人々の話題は地震である。いつも地震について話している。」と述べた。

■再移転

サムサト地震復興計画長オメル・ウンサルは、建物がマグニチュード5.5の地震に耐える必要があったことを述べて、郡で地震保険に加入していたのは、33軒だったと述べた。「村人と共に7千人近くが、地震の影響を受けた。1988年にサムサトを幹線道路から少し離れた場所に建設された。サムサトから5km離れたところにあるサハベ・サフヴァン・ビン・ムアッタル廟にある。毎年何千人もが訪れるこの廟を見に来る。この廟の周囲にトルコ宗務庁よる複合施設が建築され始めている。ここは、信仰のために旅行の観点からポテンシャルのある場所である。サムサト郡住民としてサムサト郡のこの地域からの転居を望んでいる。

■テントでラマザンの祈り

5つのモスクのうち4つが被害を受けた郡で教団のモスクの庭に作られたテントで祈りが捧げられる一方、子供たちはと言うとクルアーンの授業をテントで行っている。4カ月間テントで祈りをささげているサムサト住人は、バイラムの祈りもテントで行った。郡の公共機関もテントで営業している。

■コンテナのリノベーション

テントとともにAFADによって郡の特定の場所にコンテナが置かれた状態である。まだ使われていないコンテナは改装中であると話すAFAD職員は、作業が終わり次第、コンテナを住民に開放すると述べた。

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(翻訳者:新井慧)
(記事ID:42882)