エーゲ海地震、コス島でトルコ人1名含む2名死亡
2017年07月21日付 Hurriyet 紙


エーゲ海のギョコヴァ湾で、昨朝震度6.5の地震が発生した。ギリシアのコス島ではトルコ人1人が死亡した。11秒間にわたる地震の後、ボドゥルムで発生した津波によりボートや自動車が引き込まれ、100メートル程の引波が起きた。地震学者のオウズ・ギュンドードゥ氏によると、今回の地震の原因は向きを変えながら西方向へスライドした北アナトリア断層が、エーゲ海断層の下方へ押し入ったことであるという。

エーゲ海で昨日夜半の1時31分、震源地をギョコヴァ湾とする震度6.5の地震が発生した。ボドゥルムやダッチャ、マルマリスでは大きな恐怖に包まれた。

■約250回の余震

この大地震の後、昨夜までに最大でカンディッリ気象台で計測された震度4.9、災害緊急時対策庁(AFAD)によると震度5となる250回の余震が発生した。家屋やホテル、ペンションなどへの帰宅希望者らは、夜を通りやバー、海岸などで過ごした。

ネイゼン・テヴィフィク大通りにあるアドゥリイェ・モスクのミナレのてっぺんが折れ曲がっていた。ミナレ倒壊の危険性から、市の職員らが大通りを車両通行止めにした。地震により、30台近い車両に木の枝や石が落下したことで被害が出た一方、ボドゥルムのムムジュラルやヤルチフトリク、マーズといった街区の一部住宅でひび割れや擁壁の倒壊といった被害が出た。パニック状態になった人々や、高所から投げ出されたりして負傷した人々が、病院で手当てを受けた。県全体の私立・公立病院では、358人が治療を受けた。ボドゥルムでは、地震後に市内の全医師が業務に駆り出された。地震の瞬間、80人の患者が寝台で治療中であったボドゥルム国立病院の救命救急では、吊り天井のカバーの一部が落下し、壁にも小さなひび割れができた。この間、救命救急には12人の患者がいたと伝えられた。

■50台の変圧器に被害が

今回の地震により、ボドゥルムにある200台近い電気変圧器の内、約50台に被害が出た、変圧器が被害を受けたことにより、市内各地で停電が発生し、小火が起きた。さらに、過度な負荷がかかったことにより、電話通信においても繋がりにくい状況が発生した。ボドゥルムのヤルカヴァク街区にあるモスクでは、ミナレが倒壊した。

ボドゥルムのメフメト・コジャドン県知事は、以下のように話した。「市民はパニック状態に陥っている。死者は出ていない。小火や道路の通行止めが発生している。災害救助チームが動員された。これまでに経験したことのない地震であった。私はこの歳になるまで、ボドゥルムでこれほどの地震に遭遇したことはなかった。多くの家屋内で被害が出ている。」

■ダッチャでビルが倒壊

ダッチャ市のレシャディイェ街区で、フェリト・パパトゥヤさん(44歳)が所有する3階建ての古い石造ビルが地震で倒壊した。地震発生時に自宅にいた妻のヘディイェ・パパトゥヤさん(38歳)と姪のヒュメイラ・パパトゥヤさん(14歳)は自力で外に脱出した。地震で目が覚めたと話すヘディイェ・パパトゥヤさんは、「家が自分たち目がけて倒れてきました。もはや家には居られない状況でした」と語った。レシャディイェ街区では、51棟のビルが被害にあい、その内3棟が甚大な被害を負ったと伝えられた。ダッチャでは、地震発生時に恐怖から外に脱出しようとして高所より落下し負傷した17人が、ダッチャ国立病院で治療を受けた後、無事に退院した。イスケレ街区では、3階建ての自宅から地震発生時に外へ脱出しようとした85歳のルヒ・タンさんが、会談から落下して左腕を骨折した。

今回の地震で最も揺れた場所の一つがマルマリスであった。地震により小屋が倒壊した市民らは、海岸や公園で夜を過ごした。早朝まで公園や海岸で過ごしたマルマリスの市民らの大部分が、余震も収まってきた後に自宅へ戻った。

■AFAD「局所的な津波」

災害緊急時対策庁(AFAD)のインターネットサイトでは、今回の地震による被害状況に関して「地域ごとに収集された情報によると、今回の地震発生により1~1.5メートル程度の局所的な津波が発生し、高潮による洪水の原因となった」と伝えられた。

■様々な情報で混乱

エーゲ海で発生した地震の後、続々と出された異なる地震情報による混乱が起きた。夜中の発表では、地震の震度はカンディッリ気象台及びAFADより6.3と伝えられた。そしてカンディッリ気象台は津波の高さを10センチメートルと発表した。その後、カンディッリ気象台は測定装置が港内にあると伝え、予測される津波の高さを30~40センチメートルに引き上げた。ヴェイセル・エロール林業治水相は、「エーゲ海で起きた地震による津波の発生はなかった。最新情報によると、10センチメートル程の海面上昇が見られたとのことだ」と発表した。しかし、AFADはその後、津波による波の高さを1~1.5メートルと発表した。地震の震度についても、早朝に6.3とした発表を、その後変更した。カンディッリ気象台は震度を6.6と改訂した。AFADも一度は震度を6.6としたが、その数時間後に6.5と発表した。

■100メートルの引波

休暇先として最も需要の高い中心地の一つであるボドゥルムから約10キロメートル程南で発生した震度6.5の地震後、トルコは初めて「津波」に遭遇した。ギュムベト街区のインジェブルン地区で発生した小さな津波により、12艘のボートと5艘の漁船が陸へ押し上げられ、何十もの家屋やオフィスが水没した。ギュムベト水路では脇に止められていた20台程の自動車が、津波により陸地内に押し寄せられた。多くの自動車が積み上げられ、車の所有者らは駐車した場所で車を見つけることができないでいた。約3分間にわたり押し寄せた大きな波により、海岸沿いのホテルの下の階やレストラン部分が浸水し、16ヶ所のオフィスが水没した。

■30センチメートルの高さの波

カンディッリ気象台並びに地震研究所所長のハルク・オゼネル氏は、「津波」の大きさに関して以下のように発表した。「われわれの拠点では10センチメートルだった。その場所は港内にある。そこでは10センチメートルと推定されたが、観測結果としては10メートルから100メートルの引波で約30センチメートルの高さの波であったと考えている。」また、ジェレン・オゼル・ソズディンレル博士は、以下のようにコメントした。「ボドゥルム港内にある観測地点では、最大13センチメートルと測定された。観測装置の設置場所は低い高さで記録していた。南側の海岸では、測定値よりも高い冠水が観測された。海岸から10~100メートル程度の引波が観測された。」

■エーゲ海を北アナトリア断層が押し上げている

オウズ・ギュンドードゥ博士は、以下のように話した。「ギョコヴァ湾で起きた今回の地震とミディッリ地震とには関連性がある。北アナトリア断層が向きを変えた後、エーゲ海へと向かって、クレタ島方向に年間で4~4.5センチメートルスライドしている結果、地震は発生した。」

「つまり、この2つの地震が引き起こされたのは、強力な北アナトリア断層がエーゲ海へと向きを変えたことによる…しかも、これらを起こした力はほぼほぼ同じものだ。なぜなら、北アナトリア断層が平均でアナトリアを通過する速度は、年間2~2.5センチメートルだからだ。」

「つまり、これらの断層は何百年間にわたって形成され、年間2~2.5センチメートル程度動いているが、向きを変えた一角がこのように隙間となっているクレタ島へ向かって速度を上げて進んでいるのだ。そしてこの加速の結果、次々に地震が発生しているのである。」

「こうした活動は、チャナッカレ地震の際に加速した可能性がある。しかし、ミディッリ地震のときにはすでに確実であった。そしてその後に起きたのが、今回のギョコヴァ湾での地震である。私自身としては、これらの地震は関連性があると考えている。」

「なぜなら、2004年にその地域は2、3回の地震が発生している。もちろん、これは私が先程説明した過程によるものだ…私は、ある動きを支配している力について説明しようとしているのだ。」

■患者は庭に

震度6.5の地震で最も揺れたボドゥルムの国立病院では、患者らが庭園に運ばれた。関係者らが病院内を検査した後、庭園に運び出された患者らは院内へと戻された。院内の庭園では、予防措置を目的とした112台の救命救急車や、国際医療救急隊(UMKE)やAFADのスタッフらの待機が継続している。

■コス島でトルコ人1人を含む2人が死亡

イズミル出身のスィナン・クルトールさんは、誕生日である7月19日に今回の地震の震源地となったギリシアのコス島へ向かった。39歳の誕生日を祝ったクルトールさんは、島の中心地でカフェやバーが立ち並ぶ「エクサルヒア通り」を散策している際に、1920年台に建設されカフェ・バーとして営業する3階建てビルの倒壊した壁の下敷きとなった。クルトールさんは、救出叶わず亡くなった。今回の地震により、スウェーデン人観光客1人も死亡した。

亡くなったスィナン・クルトールさんのいとこであるセリム・チャイダムルさんも、人通りの多い現場で同じ建物から落ちてきた石や壁、鉄の部品、そして窓ガラスなどで負傷した。コス島では重体7人を含む120人が治療を受けた。クルトールさんの訃報は、イズミルのカルシュヤカに住む家族に伝えられた。家族は遺体の受け取りのため、ロードス島へ向かった。友人3人と休暇に出かけていたクルトールさんは、ボスタンルでカフェを経営していたと伝えられた。

■トルコ人へ特別許可

トルコ外務省は、コス島で休暇を過ごしているトルコ国民の島外避難に向けて、ギリシア当局と調整を行った。ボドゥルムから出ている「アスム・キャプテン号」が、第1便で負傷者を含む212人を、第2便で残りの105人のトルコ人観光客らをトルコへ移送した。地震により大きな被害を受けた港は船の渡航が閉鎖され、税関のビルも倒壊した。しかしこうした状況にもかかわらず、トルコ側の調整の結果、トルコ人観光客らの島外への脱出のため特別許可が出されることとなった。結果的に、「エーゲ・ジェット」という名のフェリーが、コス島から75人のトルコ人をボドゥルムへと移送することになった。

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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:43029 )