シリア芸術キャンプ
2017年07月23日付 Hurriyet紙


シリア難民というと、難民キャンプで困難な条件で生活を続けようとして支援を必要としている層だけが頭に浮かぶのならば、あなたは間違っている…。近年、様々な国から受け入れた移民によって、さらにコスモポリタン化したイスタンブルは、シリアで6年間続く内戦から逃れたシリア人芸術家たちのためにも、「集合場所」のような状態である。シリア人芸術家が集う場所の一つが、シリア人の写真芸術家オマル・ベラクタル(52)によって、カドゥキョイに作られた「アートヒア・イスタンブル」という名前のセンターである。イェルデイルメニにある3階建てのセンターの壁にある絵のほぼすべては、シリア人芸術家によって描かれたものである。2階には絵と彫刻のアトリエ、1階にはカフェと作業机、地下には写真家のための暗室もある。

■集合場所

ここで、シリア人芸術家たちのため、アトリエとして使用し、あるいは、ワークショップを催し、さらには、シリア人とトルコ人音楽家がやってきてジャズコンサートも開かれ、ワールドミュージックを演奏する。ここで作られた芸術家たちの作品は、イスタンブルの名のあるサロンやギャラリーで展示されている。オマル・ベラクタル(52)は、2012年に英語教師の妻と息子とともにダマスカスからイスタンブルに来た。ベラクタルは、イスタンブルがシリア人芸術家のために「集合場所」のようになったと述べた。

「シリアを後にしなければならなかった芸術家たちが、最初の一歩としてイスタンブルで一息ついた。なぜならば、イスタンブルは芸術の中心地であり、ここには多くのギャラリーがある。イスタンブルは、芸術家たちが行くことのできる最もいい都市の一つである。現在、イスタンブルで生活している何百人ものシリア人芸術家たちがいることを知り合いから聞いている。一時期、ヨーロッパへ渡った者もたくさんいたが、大部分はイスタンブルに残った。なぜならば、トルコの文化を自分達により近いと感じられるからだ。トルコ人とはヨーロパ人よりもよりよく理解しあえるからである」と述べた。

■シリアでは開くことができなかった

「このような芸術センターを開こうとはどこで得た着想なの」と尋ねた。

「シリアで私たちができなかったことをしたかった。シリアではこの形式の芸術センターは、開くことができなかった。許可が下りなかった。ここでは、1週間で許可が下りて、開くことができた。ほぼすべてのシリア人芸術家を支援して、 ワークショップを開催している。私たちの本来の使命は、シリア人芸術家をトルコ人に紹介することである。ここでは、全てが芸術のためである」と述べた。

ベラクタルは、最も大きな問題はというと、「金銭的に芸術センターを維持すること」であると述べた。「カフェテリアではそれほど稼いでいない。収入源は、売った芸術作品である。それも、私たちが食べていけるだけものである」と付け加えた。

■芸術のために、適した都市である

ファラフ・トラブルスィー(32)は、ダマスカス大学の内装建築を学び、長年画家をしていた。トラブルスィーは、3年前にダマスカスからトルコに来た。家族は、いまだにダマスカスで生活している。父親と二人の妹も芸術家であると述べた。

■私の父は建築家

「私の父は内装建築家であるが、母と父とは2年、妹たちとは4年会っていない。以前は、家族が私を訪ねてきていた。しかし、トルコが2年前にシリア人へのビザ発給を停止した後、来ていない。」

トラブルスィーは、シリアでの内戦の前には、ヨーロッパのある国で芸術に関する学科で修士として学ぼうと計画していた。

■多様性があり豊かである

「しかし、内戦が始まると計画を変更した。急いでシリアから出る必要があった。トルコにとどまることを決めた。現在、これが最も正しい選択だったと考えている、なぜならば、特にイスタンブルは、芸術家たちにとって適した都市である。社会の雰囲気は、多様性があり、豊かである。ここでは、トルコとヨーロッパ出身の多くの芸術家と知り合え、友達になった。トゥヤップの展覧会に参加した。生活をするためにイスタンブルは私をとても援助してくれた。現在は、トルコだけで芸術を行いたいと思う。」

■家族のために売り子もやっている

ブルハン・アル=ハティブ(22)は、音楽家とセマーの踊り手である。伝統的なアラブのスーフィー音楽を作り、アラブのウードという楽器を演奏している。イスタンブルでアメリカ総領事館によって行われた催しに招かれ演奏した。イスタンブル文化芸術財団の活動でセマーを披露した。2年間前に家族とダマスカスからイスタンブルに来た。音楽家として努力する一方、アヴジュラルで暮らす家族を養うためにショッピングセンターで売り子もやっている。

「この形で働かなければならない。なぜならば、シリア人芸術家としてここで音楽で生活するのは不可能だからである。」

■ここでは、開かれた社会がある

ヒュセイン・ハッダード(35)は、写真家でグラフィックデザイナーである。本来はハマー出身であるが、長い間ダマスカスに暮らしていた。4年前にイスタンブルに来た。昨年、ガーズィアンテプで写真展を開いたハッダードは、シリアにいた時は国連で働いていた。イラク人難民に写真の授業をしていた。

「ここで、より多くの外国人と働いている。なぜならば、特に教養のあるシリア人にとって、イスタンブルでちゃんとした仕事を見つけて生活するのは難しい。しかし、同時にイスタ ンブルで生活するのは、私たちにとっては快適である。なぜならば、ここでは、開かれた社会があるからである。」

■イスタンブルで作り、ヨーロッパで売っている

画家のアリ・オマル(32)は、ダマスカス大学絵画学科を卒業した。2014年9月にシリア北部のカーミシュリーからトルコに避難してきた。「私は、画家であり、戦いを望まない。そのため、逃げた」と述べた。内戦以前にダマスカスとスウェーデンで個展を開いた。芸術活動を「アートヒア・イスタンブル」で続けている。作品は、ムスタファ・ケマル文化センターで開かれた現代絵画展やギャラリー・エクセンに展示された。

「シリア人芸術家として、イスタンブルで絵を売ることはとても難しい。絵の大半はトルコ国外のヨーロッパで購入されている。最近では、ジュネーブで行われたいくつかの展示会に参加した。もし、ヨーロッパで私の絵を売るチャンスがなかったならば、トルコで生活を続けることは、とても難しかっただろう。」

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(翻訳者:新井慧)
(記事ID:43045)