ギュレン派の空軍首謀者アーディル・オクスュズ、逃走の経緯明らかに
2017年07月27日付 Hurriyet紙


フェトフッラー系テロ組織(FETÖ)の空軍のイマームであるアーディル・オクスュズ氏は、7月15日クーデター未遂事件の後に逮捕されたが、釈放され、行方をくらました。彼は行方を追われている間に、偽のパスポートを入手しようとしていたことがわかった。さらに、オクスュズ氏が逃走中に2つの異なる銀行口座から現金を引き出していたということが、財政犯罪捜査機関(MASAK)の報告で明らかになった。

FETÖの空軍のイマームであるアーディル・オクスュズ氏は、7月15日クーデター未遂事件の首謀者の1人であり、暫くサカルヤ県サパンジャにいたとされるが、彼に関する重要な証言が明らかになった。以下はサカルヤ県のイブラヒム・ジェム・デミル氏の証言だ。デミル氏(30歳)は「武器を用いての恐喝」 の罪により実刑判決を受け、2016年にゲイヴェ刑務所に収監されて2016年3月に脱走した。彼は偽の身分証を用いて移動する中、2017年2月28日に逮捕されマルテペ刑務所に収監された。デミル氏は収監からおよそ2か月後の2017年4月13日に、大統領府報道センター(CİMER)に手紙を書き、オクスュズ氏に関する情報を提供したいと述べていた。6月15日に、デミル氏のこの証言が受理された。

■「高原で彼を見た」

デミル氏は証言で、彼が逃走中だった2017年1月に、苗字不明のアティッラと名乗る友人が「知り合いが偽の身分証とパスポートを必要としている」と言っていたのを明らかにし、以下のように述べた。

「我々は私の車でサパンジャのソウジャク高原に行った。ある人物が私たちの側に来た。緑の目をした、太ってはいない人だった。その隣には2・3人がいた。アティッラは彼らのうちの1人から写真を受け取り、私に見せてきた。アティッラは緑の目の人を見せつつ「似ているか」と問うた。私は「似ている」と答えた。私がアティッラに「本物の身分証は1500リラで作れる」と言ったところ「1万リラや1万5000リラは重要ではない」と言っていた。

デミル氏は、偽の身分証を作らせた「ハカン」という男の番号をアティッラに与えたと明らかにし、刑務所のテレビで見たアーディル・オクスュズ氏が高原で見た人物だと主張したうえで「以前から新聞やテレビでオクスュズ氏を見ていたにもかかわらず、高原で会った人物がオクスュズ氏だとはわからなかった。しかしその後、同一人物だとわかった。間違っているとは思わない。その人はテレビや写真で見た姿よりもやせていた。あごひげや口ひげはなかった。髪も剃っていた」と述べた(イスマイル・サイマズ記者)

■下士官の遠戚

アーディル・オクスュズ氏が釈放された後、ゼキ・チュンクル下士官がオクスュズ氏と電話で話していた。オクスュズ氏についてチュンクル下士官は「知らない」と言っているが、2人は遠い親戚であるということがわかっている。7月17日夜中、オクスュズ氏はスィンジャン裁判所に移送され、尋問を待っている間に、エロル・オズデミル中央駐屯司令官はカザン郡軍警察本部のバイク治安チームのゼキ・チュンクル下士官のもとへ赴き「閣下、アンドゥルン出身の同郷の人がいます。ここにきて一度見てみるようと言った」という。チュンクル下士官はこの勧めに従ってアーディル・オクスュズ氏のもとへ赴いた。 チュンクル下士官は、オクスュズ氏との間にいかなる親戚関係もないと証言している。しかし裁判資料には、諜報チームから送られた書類があり、そこにはチュンクル下士官とオクスュズ氏の間に遠戚関係があると記されていた。同じ書類には、7月18日にアーディル・オクスュズ氏が釈放された後、チュンクル下士官と3度電話で話したと記されている。

オクスュズ氏の釈放に際し職務怠慢を犯した公務員らに関して作成された告訴状に98人が列挙されており、チュンクル下士官もこれに含まれる。チュンクル下士官は、この文書の作成の際に、オクスュズ氏は文民にも拘らず、軍人として名を挙げていたことがわかった。チュンクル下士官が、検察局に提出された書類に不備があり、また証拠を盛り込んだ調書がないという形で提出したと言われている。

■2つの銀行口座から現金引き出し

MASAKが提出した、アーディル・オクスュズ氏のお金の動きに関する報告には、驚くべき情報があった。報告によると、オクスュズ氏は釈放されて以降、そして逮捕命令が出されて以降でさえも、銀行口座から現金を引き出していた。オクスュズ氏の口座の残金は、2016年7月17日時点では5460リラだったのに対し、同年7月18日時点では2000リラ減って3460リラになっていた。同じ銀行口座からは2016年7月20日に886リラが引き出され、残金は2573リラに減った。オクスュズ氏のもう1つの銀行口座では、2016年7月1日時点の残金は5000リラだったのに対し、同年7 月19日に1000リラが引き出され、4000リラになっていたことがわかった。(メスト・ハサン・ベンリ記者)

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(翻訳者:神谷亮平)
(記事ID:43077)