Taha Akyolコラム:死刑論ポピュリズム
2017年08月03日付 Hurriyet紙

クーデター容疑者への法廷審議にあたり、市民が抗議の声を上げ、死刑を求めている。

裁判官を侮辱するようなことでもなければ、法廷の外で、裁判に賛成でも、反対でも、デモはできる。
7.15が国に与えた恐ろしい被害を考えれば、そうした反応は当然だ。
問題は、国家の要人や政治家、法律家、市民指導者らがどのように振る舞ったかだ。

■「死刑を求める」

アクンジュ基地は、クーデター未遂の「震源」とされた。私はその起訴に関するニュースをTVで見た。AKPのケチオレン地区組織からきた人々は、死刑を求めていた。裁判の監督者としてその場にいたAKP副党首のハヤティ・ヤズジュに対し、死刑を求めていると伝えたのだ。
手元の絞首用ロープを見せつけながら、「我々はロープを持ってきた。これをかけるのはあなたの仕事だ」と語ったのである。
そこまではまだ普通だ。
私は期待しつつ、法律家であるハヤティ・ヤズジュがどう反応するかを見守った。期待している、というのは、ヤズジュがちょうど1年前の2016年6月30日の談話で、死刑には反対しており、導入されたとしても、過去の事件に適応はされないと語っていたからだ。
しかし今、どうするだろうか?自身の党の組織の人々が、死刑を求めたのだ。

■ヤズジュの発言

ヤズジュは彼らの言葉にはとらわれず、、裁判が「公正な裁判」で「国際的な法の原則」に沿って行われていると語った。
「統一囚人服」に関しても「テロ組織メンバーがプロパガンダの材料にすることを決して許さない」とだけ述べた。
私は心の底から、法律家とはこのように話すものだと思った。

ヤズジュは「死刑ポピュリズム」を進めることも出来た。「公正な裁判」や「国際的な法の原則」を無視し、集団心理に迎合した熱狂的な発言をすることも出来たのだ。
もし、そのように話したとしても、クーデター容疑者の証拠や、法の規定が変わるというようなことはないが、しかしある政権メンバーの見境のない言葉は、公正な裁判が行われず、死刑が復活するような疑いに道を開き、トルコに不利に働くところだった。

実際、ギリシャが送還しなかったクーデター容疑者は、ギリシャの裁判所においてそれを根拠に利用したのだ!
我が国の憲法裁判所は、イランの「反政権活動家」のトルコ政府による国外追放を、イランで死刑になるという理由で止めたのだ!(No: 2015/191323)
ヨーロッパ人権裁判所も、捜査や起訴について国家権力者が発言することを「萎縮効果」として補償の決定を出している。

■この世界でのトルコ

我々は、そうした世界に生きている。トルコは、そうした世界において立ち位置を明確化しようとしているところだ。絶えず死刑に言及すること、特にメディアが注目する裁判において、「萎縮効果」を生み出す発言をし、人々の前で有罪を宣告することは、群衆の満足に繋がるとしても、トルコの力を弱めることになるところだった。
これは、大統領や首相のような行政の責任者にかぎったことではない。「影響力」をもつ人、例えばハヤティ・ヤズジュの言葉ですら、将来、国際的な法の問題を引き起こす可能性があったのだ。
ヤズジュは正しく振舞った。
「死刑」には耳を閉ざし、「公正な裁判」と「国際法」の強調によって、正しいメッセージを発した。
少なくとも、以下のような事実は、群衆に向けても正しく述べなければならない。すなわち、死刑が復活したとしても遡及はできない。いつ導入されたとしても、その後に犯された犯罪に対してのみ、適用される。
さらに、トルコの憲法裁判所がイランに関して決定を下したように、国際法の世界でトルコが今日より一層厳しい立場に追い込まれるのだと。
死刑の話は、完全に議論から遠ざけなければならない。

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(翻訳者:貝瀬雅典)
(記事ID:43222)