アフガニスタン難民、トルコからスイスへ逃亡の物語
2017年08月13日付 Hurriyet紙


カディル・サヴンジュオール(エルズルム、ドアン通信)によると、自国の内戦から逃れ、イランで、自身の姉と離れ、17歳でトルコへ不法入国したアフガニスタン人ムハンマド・ムハメディは、まるで映画のような過程を経て、スウェーデンへの逃亡に成功した。スウェーデンで国籍を認可され、働き始めたムハメディは、トルコで暮らしていた時期、自分を世話してくれた人々にお礼を言うため、エルズルムへ来た。
ムハンマド・ムハメディは、逃亡物語を語った。エルズルムの養護施設で2年ほど過ごしてから、ヨーロッパへ行くという夢を持ち、旅に出たムハメディは、イスタンブルで10人の有料顧客を探す代わりに、密入国業者によってギリシャへ無料で小型の船で逃れた、と話した。その上300リラで、アテネで偶然見つけた大型トレーラー(TIR)の後部タイヤ間の空間で18時間の旅をしながら、バーリを越え、ローマへ行ったという経験を語るムハメディは、ローマを出てドイツやフランスで暮らすことを望んだがかなわず、スウェーデンで国籍を承認されたと説明した。
現在、スウェーデンで働く23歳のムハメディは、難民として渡った道を、今回飛行機で帰りながら自分を手助けしてくれた人々へ『感謝を伝える』ために、エルズルムを訪れた。ムハメディは、「私は2年間過ごしたトルコで生きることを知った。もう国籍や身分証を持たない人間でもない。快適に渡航することができる。こういったことは非常に大切なことなのだ。目標は心理学を研究することだ。ヨーロッパ諸国では、国境がないが、私たちの心には境界線がある」と述べた。

■家族はアフガニスタンで戦死

家族をアフガニスタンでの戦争で失い、現在大学で学ぶ30歳の姉と共にテヘランへ向かったことを明かしたムハメディは、以下のように述べた。
「イランで暮らすことは大変困難だった。身分証などなかった。そのままでは姉をとても困らせることになっていただろう。もっとよい暮らしを求めてトルコへ来た。ワンでは、英語を知っていたことが仕事に大変役に立った。トルコはすごく好きだった。エルズルムでは多くのことを学び、人生について知った。私は身寄りもなければ身分証もなかった。エルズルムで知り合った人々からもらった900リラで、2013年8月にイスタンブルへ行った。目標はヨーロッパへ難民として暮らすことだった。イスタンブルで密入国業者と知り合った。自分にお金がないことを彼らに話した。ギリシャへ不法入国するつもりの10人を見つけるという条件で、私を無料で連れて行ってくれると言ってきた。訪れたアクサライでは2、3日間で10人集めた。彼らは有料、私は無料でアイヴァジュクから小型の船でミディルリへ入った。ヨーロッパへ入ったときには手元に300リラ持っていた。数時間かけてゆっくりと歩いていたら警察に捕まった。そこから船でアテネへ送られた。公園で寝泊りをし、その後一台の大型トレーラー(TIR)の後部にある4つのタイヤの間にあった空間に居座った。その空間で18時間、フェリーボートで旅をし、バーリへ入った。」

■「境界線はわれわれの頭の中にあり、ヨーロッパにはない」

それから、陸路と鉄道でローマへ、ローマからパリ、フランクフルト、コペンハーゲンからスウェーデンへたどり着いたと記憶しているムハンマド・ムハメディは、スウェーデン移民管理局によって35ヵ月後に国籍を認められた、と述べた。小学校、高校を終えて、政府の仕事で職を手に入れたと説明するムハメディは、以下のことを語った。
「スウェーデンのマルモという街で暮らしている。アフガニスタン語と同様にフランス語、トルコ語、英語、アラビア語、スウェーデン語を学習した。これにより、国際的に働いている。自分の家があり、誰も難民扱いしない。大学へ行く準備はできていて、心理学を学ぶつもりだ。もう無国籍でも身分証がないわけでもない。快適に渡航できる。ストレスもない。私たちの心や頭には境界線がある。ヨーロッパには国境がない。望めばどこへでも行くことができる、そういうことを知った。」

■直面してみると驚いた

ムハメディに直接会ったエルズルム振興財団(ER-VAK)長、エルダール・ギュゼルは衝撃を受けたと述べた。エルダール・ギュゼルは「彼はエルズルムへ難民としてやって来た。孤独で幼かったため養護施設で暮らしていた。ムハンマドは、エルズルムから、まるで小説や映画のような旅をした。それを目の当たりにすると、『人はなんでもできる』と考えずにはいられなかった」と、話した。

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(翻訳者:川田知果)
(記事ID:43231)