送迎バスに残された3才男児、熱中症で死亡
2017年08月17日付 Hurriyet紙


イズミル県チーリ郡で送迎バスに乗った3歳の少年、アルペレン・サキン君はバス内で寝ていたために取り残され、熱中症で亡くなった。アルペレン君の死にサキン家は悲しみに襲われた。痛ましい事故の後、逮捕されたバス運転手T.I.は刑務所に送られた。

悲劇の後、サキン家の悲嘆は胸をえぐられるものであった。セルカン・サキン氏は2年前にドイツから帰国してイズミルに定住した。セルカン氏は息子のアルペレン君は最低なネグレクトの結果、命を失ったのだと話した。

■速報!運転手逮捕

イズミル県チーリ郡で3歳の少年アルペレン・サキン君は保育所の送迎バスで眠ってしまい、熱中症にかかり亡くなった事件についてバス運転手のT.I.が逮捕され、刑務所に移送された。彼は「業務上過失致死」の罪で裁判所から令状が出され、逮捕された。送迎バスの責任者であるD.K.氏は検察官による取り調べの後、釈放された。他にイズミル県国民教育長オメル・ヤフシ氏は事故をあらゆる面から調査するために監査人が任命されたことを語った。

■「アルペレン君が倒れました。私たちは病院です。大至急来てください。」

事故の日、仕事を終え、奥さんと一緒だったセルカン氏は買い物をしている最中に保育所から電話が来たと話した。「私たちのところに電話がかかってきたんです。『アルペレン君が倒れました。私たちは病院にいます。大至急来てください』と言っていました。すぐに私は病院へ向かうとそこに保育所の従業員の方と、所長がいました。『お子さんをベッドに寝かせました。ご飯の時間で起こそうとあの子のところに向かったのですが起きなかったのです。それからもずっと起きなかったので大慌てで病院に連れていきました。昼食だからと起こそうとしたんです』というようなことを言っていました。私に電話したのは17時頃でした。昼食を17時に食べるでしょうか。さらに、病院で息子を治療していた医者が『1時間息子さんについて必要な治療を施しましたが、残念ながら蘇生させられませんでした。息子さんは既にここに来た時には手遅れだったのです。来る途中で亡くなったのでしょう。あるいはもっと前にということもありえます』と言って居ました。それから私は保育所の人々に聞いたんです。彼らは息子は病院に行く途中では生きていたと言うんです。そこから今日、警察の方が矛盾することを語ったんです。警察が言うには息子は朝7時半にここからバスに乗ったんです。そして保育所で子どもたちはバスからおろされました。息子はこのバスで寝てしまい、そのせいで置き去りにされて16時半までバスの中で苦しんでいたんです。人は飢えや乾きでも1日は生きられます。でも私の息子がその時間までこのイズミルの暑さでガラスの窓が閉め切られたバスの中でどれぐらい生きられるというのですか。息子は既にほとんど瀕死だったんです。私はとても大切に息子を大切に育ててきました。親であれば誰しもがそうするようにです。国に、国民に役立つ息子に育てようと汗水流して働いてきました。私たちは祖国を、国民を愛する者です。息子はもしかしたら将来、首相や大統領になっていたかも知れません」と語った。

■「私の苦しみを他の人に味わせるわけにはいかない」

セルカン氏の言葉はさらにこう続く。「我が息子は愚かしいネグレクトのせいで命を奪われました。同胞よ、私の胸から魂が抜け落ちました。心がどこかに行ってしまったのです。そう、燃え尽きてしまいました。ですが他の魂にこのような責め苦を味わせるわけにはまいりません。政府に私のお願いです。我々は国の法律を信じております。国家を信じております。永遠に信じております。私たちはこの事件を今後も追及していきます。政府もこの件について綿密に調査を行うと信じています。すぐにこのような法律が施行されることを望んでいます。保育所で児童を預かり、保育する人々には信頼できるコースまたは試験を受けさせるようにしてください。これを合格できないものには仕事をさせないでください。同胞よ、この仕事は命を預かるものです。3歳の息子の一生を誰が私に償ってくれるのですか。心が砕けました。アルペレンは行ってしまいました。他の家族にこんな思いをさせないでください。本当に心が張り裂ける重いです。今日、自分の手で送っていきました。自分を運んでいました。自分を土に埋めたのです。あの墓の中に自分が入っていったのです。自分の手でです。」

■「アルペレンが語られないというのであれば・・・」

一方で保育所の所長をセルカン氏は非難した。保母である人物がどれほど経験を積んでいたのか調査結果を見て「どうすれば子どもが車の中に忘れられるというのですか。運転手もこれを管理していなかったのですか。これは不注意、ネグレクトです。アルペレンに健康上の問題はありませんでした。腕白で幸福で元気な子供でした。」と語った。

3日前、イズミルに来たアルペレン君の叔父、アフメト・サキン氏はこの悲しみを受け入れられないこと、まだアルペレン君が死んだことを信じられないと述べた。アルペレン君には何も問題がなかったと話すアフメト氏は「アルペレンは愛らしい、遊ぶのが大好きな活発な子どもだった。私は以前からアッラーの公平さを信じている。これを実践するものは我々を必ずや見ていてくださる。良心に手を委ね、16時半まで待たされ、このイズミルの暑さの中で、閉め切ったバスの中で置き去りにされた子供を見れば、我々の悲しみもこのような形で別ちあえるだろう。あの事件を聞いて私はとても悲しい。裁判官を前にしてとても後悔しているとは言わないでほしい。彼を裁く裁判官も、アッラーの慈悲のために、自分の息子になされたかのように彼を裁くべきだ。親愛なる検事にもお願いする。自分が私たちの立場にあればどうするか、その形でこの人たちを裁いてほしい。」と話した。

■「とても元気な子だった。飛んで行ってしまった。」

アルペレン君の死にショックを受けた祖母は「あの日、私はあの子を愛していました。愛していたんです。アイランを上げました。ミルクを上げました。優しく撫でてあげました。抱っこもしました。抱っこしてあの子も私を抱きしめてくれたんです。『おばあちゃん』と言ってくれました。ですがもうばらばらになってしまいました。とても元気な子でした。飛んで行ってしまいました。」と話した。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら

 同じジャンルの記事を見る


(翻訳者:市野太音 )
(記事ID:43248)