クルバン・バイラム、どう祈る?どう祝う?
2017年08月31日付 Hurriyet紙


バイラムの礼拝時間が何時になるのかという質問の答えが気になる多くの人々は、この件について調べている。クルバン・バイラムが近づくとともに人々は、暮らしている県のバイラムの礼拝時間に興味を持ち始めた。それでは、礼拝時刻は何時になるのか?以下に、各県のバイラムの礼拝時刻を載せている。

クルバン・バイラムのカウントダウンが始まった。クルバン・バイラムが近づくとともに多くの国民がバイラムの礼拝時間を尋ね始めた。読者のために本記事で県ごとのバイラムの時刻をまとめた。以下がそのデータだ。

バイラムの礼拝時刻は、県と郡の中心部に住んでいる人々によって調査され続けている。クルバン・バイラムの初日にモスクで、多くの人々とともに行われるであろうバイラムの礼拝は、執り行われる時間とともに話題となっている。これは、イスタンブルとアンカラをはじめとする国内全土を含めたバイラムの礼拝時刻である。

バイラムの礼拝時刻
アダナの礼拝時刻:06:48:00
アドゥヤマンの礼拝時刻:06:36:00
アフヨンの礼拝時刻:07:06:00
アールの礼拝時刻:06:16:00
アマスヤの礼拝時刻:06:44:00
アンカラの礼拝時刻:06:56:00
アンタリヤの礼拝時刻:07:07:00
アルトゥヴィンの礼拝時刻:06:20:00
アイドゥンの礼拝時刻:07:17:00
バルケスィルの礼拝時刻:07:16:00
ビレジキの礼拝時刻:07:07:00
ビンギョルの礼拝時刻:06:26:00
ビトリスの礼拝時刻06:20:00
ボルの礼拝時刻:07:01:00
ブルドゥルの礼拝時刻:07:08:00
ブルサの礼拝時刻:07:11:00
チャナッカレの礼拝時刻:07:22:00
チャンクルの礼拝時刻:06:53:00
チョルムの礼拝時刻:06:47:00
デニズリの礼拝時刻:07:13:00
ディヤルバクルの礼拝時刻:06:28:00
エディルネの礼拝時刻:07:20:00
エラズーの礼拝時刻:06:31:00
エルズィンジャンの礼拝時刻:06:30:00
エルズルムの礼拝時刻:06:22:00
エスキシェヒルの礼拝時刻:07:06:00
ガーズィアンテプの礼拝時刻:06:40:00
ギレスンの礼拝時刻:06:33:00
ギュミュシュハーネの礼拝時刻:06:29:00
ハッキャーリの礼拝時刻:06:14:00
ハタイの礼拝時刻:06:45:00
ウスパルタの礼拝時刻:07:07:00
メルスィンの礼拝時刻:06:51:00
イスタンブルの礼拝時刻:07:11:00
イズミルの礼拝時刻:07:20:00
カルスの礼拝時刻:06:15:00
カスタモヌの礼拝時刻:06:52:00
カイセリの礼拝時刻:06:46:00
クルクラレリの礼拝時刻:07:18:00
クルシェヒルの礼拝時刻:06:51:00
コジャエリの礼拝時刻:07:07:00
コンヤの礼拝時刻:06:59:00
キュタフヤの礼拝時刻:07:08:00
マラトゥヤの礼拝時刻:06:35:00
マニサの礼拝時刻:07:19:00
カフラマンマラシュの礼拝時刻:06:41:00
マルディンの礼拝時刻:06:26:00
ムーラの礼拝時刻:07:16:00
ムシュの礼拝時刻:06:22:00
ネヴシェヒルの礼拝時刻:06:49:00
ニーデの礼拝時刻:06:50:00
オルドゥの礼拝時刻:06:35:00
リゼの礼拝時刻:06:25:00
サカリヤの礼拝時刻:07:05:00
サムスンの礼拝時刻:06:41:00
スィイルトの礼拝時刻:06:21:00
スィノプの礼拝時刻:06:46:00
スィヴァスの礼拝時刻:06:40:00
テキルダーの礼拝時刻:07:17:00
トカトの礼拝時刻:06:41:00
トラブゾンの礼拝時刻:06:28:00
トゥンジェリの礼拝時刻:06:30:00
シャンルウルファの礼拝時刻:06:34:00
ウシャクの礼拝時刻:07:11:00
ヴァンの礼拝時刻:07:11:00
ヨズガトの礼拝時刻:06:48:00
ゾングルダクの礼拝時刻:06:59:00
アクサライの礼拝時刻:06:52:00
バイブルトの礼拝時刻:06:26:00
カラマンの礼拝時刻:06:56:00
クルッカレの礼拝時刻:06:54:00
バトゥマンの礼拝時刻:06:24:00
シュルナクの礼拝時刻:06:19:00
バルトゥンの礼拝時刻:06:57:00
アルダハンの礼拝時刻:06:16:00
ウードゥルの礼拝時刻:06:11:00
ヤロヴァの礼拝時刻:07:10:00
カラビュクの礼拝時刻:06:56:00
キリスの礼拝時刻:06:41:00
オスマニイェの礼拝時刻:0:44:00
デュズジェの礼拝時刻:07:02:00

■バイラムはどう祈る?

バイラムには礼拝が欠かせない。バイラムの礼拝も金曜礼拝のように集団で礼拝をしなくてはいけない。金曜礼拝のために必要な条件は、バイラムの礼拝のためにも必要である。成人になり、精神と体の健康を持つ、自由なムスリム男性はこの礼拝をすることが必要だ。ラマザンもクルバン・バイラムも同じ形で礼拝する。この礼拝時刻は、バイラムの初日の日の出からおよそ45分後である。この祈りにエザーンは詠まれない。礼拝時刻が来ると、エザーンを詠むミュエッジの呼び掛けにより人々は気づきイマームに従う。(アッラーの承認のために必要なラマザン/クルバン・バイラムの礼拝に気づき、イマームに従うという形で意図される)

最初のテクビルの後、イマームと集まっている人々はシュブハーネケの祈りを詠む。さらにその後イマームが3度両手を起こしながら「アッラーフアクバル」と言い礼拝をおこなう。人々はイマームに従う。両手は毎回横に揺らされる。3度目のテクビルの後手をつなぎ、イマームがファティハーとザムの章を声に出して詠み、腕を曲げふるわせた後、1回目も礼拝が終えられる。2回目の礼拝のために立ち上がる。今回、テクビルはザムの章の後である。イマームはファティハーとザムの章を声に出して詠む。その後再び3度腕を起こし礼拝をおこなう。毎回両腕は横に揺らす。腕を起こさず4度目のテクビルとともに腕を曲げる(追加のテクビルは、1回目の礼拝のファティハーの前で、2回目の礼拝ではザムの章の後である。

さらにその後腕をふるわせ、カデイ・アーヒレとともに礼拝が終わる。礼拝終了後、イマームはミンバルを上り、説教を始める。この説教を詠むことは割礼である。イマームは説教をテシュリクのテクビルにより始める(通常これらのテクビルはイマームが説教を終える時に詠まれ始める。説教のすぐ直前と終了後にも詠まれ合計9回詠まれることになる。これらのテクビルは人々全員で詠まれる)。このようにバイラムの礼拝は行われる。

■バイラムの礼拝で詠まれるテシュリクのテクビルとは?

テシュリクのテクビルとは、「アッラーフアクバル・アッラーフアクバル・ライラーヘイラーラフヴァラーフアクバル・アッラーフアクバルヴェッラーヒルハムド」という文である。クルバン・バイラムでは、このテクビルを述べなくてはいけない。クルバン・バイラムの夕方に、朝の礼拝の時間に始まり、バイラムの4日目の2回目の礼拝まで想定した礼拝に続き、テシュリクのテクビルを続けなくてはいけない。

■クルバンついての規定

肉を食べられる、または食べられない犠牲獣:
・人々が誓い、祈りを捧げる犠牲獣を、父母と祖父、子供たち、孫たちと親戚たちの扶養から必要とする人々が食することは許可されないようにムスリム以外の人々と金持ちに食べさせることを許可しない。

・人々が人生で行った善行のために、死後にからだの3分の1以上切られた犠牲獣を食べられない、裕福な人々にも食べさせてはいけない。しかし貧しい者には与えられる。犠牲獣を自身で殺した者は食べられ、食べさせられることができる。なぜなら一人の誰かが犠牲獣を切り、善行を死に寄付すれば、自らの犠牲獣のように場所と他の人々に食べさせられる。誰か一人にとって必要である犠牲獣を切ろうとして善行を死に捧げたならば、犠牲獣の借りを返したことになり善行も死に到達する。

・成獣ではない犠牲獣を屠殺したものは、子どもが食べる。残っている肉は子供のために(服のように)活用できるものと交換されうる。

・切る前に動物が健康で生きていることが分かればー切った後に血が出ず体が動かなくてもー切られたことによりハラールとなる。

・切られる前に復活を知らされない状態で切られても、血が出るか動けば食べられる、出血せず動きも見られなければ食べてはいけない。

・何人かの宗教学者たちによると、切る時に犠牲獣の口と目を閉じること、毛を梳かすこと、膝を折ることは、生の印である。これらの対比は、つまり口と目を開いた状態にすること、毛を整えないこと、膝を折らないことは、死を表している。

・一匹の動物の喉を切る行為により死んだと分からないならば肉は食べられない。時間内に犠牲獣が切られず、価値が施しとして与えられれば犠牲獣とは表現されない。裕福な人々が犠牲獣を切らず、捌く時間を過ぎてしまえば、犠牲獣の価値を施しとして与えることが必要になる。貧乏な人々と犠牲獣を捧げた人々は、得た犠牲獣を切らずに時間が過ぎたなら、犠牲獣自らを施しとして与えることが必要となる。喜捨の施しと犠牲獣が必要になった後、財を損失すれば(持ち主は貧乏へ転落すれば)生きている間にそれらの義務を果たさない限り、彼らは正当とはみなされない。また、それらの価値と同じもの(あるいは犠牲獣)を施しとして与えることが必要である。多くの裕福な子供のために、保護者は子供の財から犠牲獣を屠殺することが必要である。犠牲獣を横たえた後、ナイフを研くことは忌み嫌われている。切れないナイフを犠牲獣の体から抜き出し研いだ後に切ることはー受難になるためーハラムである。だが、このように切られた犠牲獣の肉を食べることはハラムにはならない。切れ味の悪いナイフで切ること、そうしたナイフを何度か通すこと、切る部分に膝を通しながら引き抜くこと、骨髄まで一気に切ること、犠牲獣を苦しませること、生きてるのに皮をはぐこと、頭を一気に切ること、キブラの方向に向かせないこと、出産が近い動物を切ることは忌み嫌われている。

・どんな動物が犠牲獣にはならない?

片目または両目が見えない、病気で骨髄が溶けている、切られる場所まで行く力のない、つまり全く歩けない、耳の一つがない、または鼻が切られた動物は犠牲獣にすることが許されない。牛、羊、ヤギの片方の乳房が機能しない、または乳が全くでないならば、犠牲獣にすることはできない。しかし、子供に授乳できるならば許容される。歯のない動物を犠牲獣にすることは不可能である。もし歯のほとんどがあるならば好ましくないが許される。しかし歯のない動物が歯のある動物のように鳴くことができ腹部が肥えているならば許される。

狂った動物は腹部が肥えていないならば、犠牲獣にすることは許されない。死ぬ直前の動物を犠牲獣にすることもいけない。片耳が根元から切り取られた、または生まれた時に片耳がなかった動物を犠牲獣にすることはできない。信託の動物を自らのために犠牲獣にすること、誓いの動物を犠牲獣にすること、捕まえるべきではない動物を自らのために切ることは許されない。夫、妻またはつがいの動物を許可なく自らのために切ってはいけない。対価を払って同意する場合でも許されない。

・どのような動物を犠牲獣にすることができる?

犠牲獣になる動物は羊、ヤギ、牛、水牛、ラクダである。一歳を終え二歳になった羊、ヤギ、二歳を終え三歳になった牛と水牛、五歳を終え六歳になったラクダは犠牲獣になり得る。

しかし、子羊が成長して一歳の羊と違いがなく、六ヶ月経っているならば犠牲獣になることができる。
犠牲獣は野生の動物であるべきではない。一匹の羊、一匹のヤギは一人の人間のための犠牲獣になれる。一匹の牛、水牛、またはラクダは7人のための犠牲獣になることができる。つまり、7人をもてなすとしたら一匹の牛かラクダを犠牲獣にできる。周りの人々は、一人、二人、または七人以下である。誰か一人が二匹の羊を犠牲獣にすることができる。預言者ムハンマドは毎年二匹の羊を犠牲獣にしていた。別れの巡礼においては百匹のラクダを犠牲獣にした。もてなしとして牝牛、牡牛、ラクダや水牛を犠牲獣にすることにおいて好まれたことは、人々が犠牲獣を皆一緒に捕らえること、または彼らのうちの一人に委任状を与えて捕らえさせることである。人々全員がクルバン・バイラムの礼拝において、善行と犠牲となった命に祈りを捧げることと、平等で全員がムスリムであることが条件である。人々のうち一部は必要である犠牲獣に、他の人々はスンナ、無益さ、誓いや子供の犠牲獣に願いを捧げるか、あるいは死を、また思春期、老いを迎えるかすれば、犠牲獣は許される。

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(翻訳者:前口翠里)
(記事ID:43319)