トプカプ宮殿周辺に建築許可?
2017年10月13日付 Hurriyet 紙


保護委員会は、トプカプ宮殿を第1保護エリアから第3保護エリアに格下げする決定を下した。

保護委員会は、トプカプ宮殿を第1保護エリアから第3保護エリアに格下げする決定を下した。このように、求められた場所で制限付きながらも工事を行うことができるようになる。ファーティヒ自治体は、トプカプ宮殿の保護レベルを下げるためにイスタンブル第4文化施設保護委員会に申請を行った。1995年に第1建築保護エリアに指定された君主の壁の内部にあるハスバフチェ(庭園)を、第3建築保護エリアに格下げするという提案について、保護委員会は抗せなかった。2863号の文化施設保護法によると、第1建築保護エリア内における建築は完全に禁止されているが、第3建築保護エリアでは博物館の監督下での建設が許可されている。宮殿の中庭についても、文化省が決定を下す見込みだ。

■考古学者も署名

トプカプ宮殿の周辺を囲む君主の壁は1995年に、保護委員会の決定により第1建築保護エリアに指定された。22年後の今、ファーティヒ自治体により保護レベルの引き下げが要求されているが、依然としてUNESCOの世界文化遺産である。ファーティヒ自治体研究プロジェクト実行局は、現行の保護レベルを見直した新たな図面を作成して、9月に保護委員会に申請した。この新たな提案では、トプカプ宮殿博物館では建物のあるエリアが第1建築保護エリアに、第1・ 第2・第3中庭、武器庫、旧印刷学校のあるエリアと、鉄道と壁の間に残るハスバフチェは第3保護エリアに指定されるよう提案されている。

9月15日、イスタンブル第4文化施設保護委員会は、特別にトプカプ宮殿を保護エリアから外すことを議論した。博物館の責任者はこれに反対し、議論は紛糾した。保護委員会のジェム・エリシュ委員長とファーティヒ自治体のエルハン・オフラズ副区長は建築保護エリアの境界を変更する方向での意見を表明した。委員会のメンバーである考古学者のシェヴケト・ドンメズ教授も、この決定に反対しなかった。建築家のナズル・アクンジュ教授は反対票を投じた。

■妥当と判断

イスタンブル第4文化施設保護委員会は、2017年9月15日付けの第5845号決定を下した。その内容は以下の通りだ。

「ファーティヒ自治体研究プロジェクト実行局は、2017年9月12日付けの文書で、保護レベルの見直しを提案する図面がトプカプ宮殿博物館による、関連施設に関する部分が文化遺産・博物館総局による判断を仰ぎ、プログラムの枠内で別途検討される必要性について、君主の壁と海岸線の間に残存する都市遺構・歴史的遺産の保護を継続し、君主の壁と国営鉄道線の間に残る、付属の図面で示されている、旧トプカプ宮殿のセペテチ宮とアフルカプ・フェネルの間にあるハスバフチェの重要な遺構(セペテチ宮、シェヴキイェ亭、インジリ亭、バルクハーネ宮など)を含むエリアが第3建築保護エリアとして評価されることについて、委員会として妥当と判断し、文化財・博物館総局に判断を仰ぐことを決定した。」

■制限付きの開発を認める

トプカプ宮殿を取り囲む壁は君主の壁と呼ばれる。海側の壁はギュルハーネに始まり、アフルカプ・フェネリ(灯台)の先で終わる。壁と元々鉄道の線路があった場所の 間の部分はハスバフチェと呼ばれる。ハスバフチェの中では、シェヴキイェ亭とバルクハーネ宮があったが、基礎部分までほとんどが失われている。インジリ亭のみ、壁に隣接した部分が残存している。線路と壁の間の部分には、イスタンブル広域市に属する旧皮膚科・性病科病院、駐車場、交通省に属するアフルカプ・フェネリ付属館と庭がある。このエリアは全て、第1建築保護エリアに指定されていた。建設工事の妨げになるこうした指定は新たな決定によって変更された。このエリアは第3建築保護エリアに格下げされ、制限付きの開発に開放された。

■博物館の発掘調査の後

2863号の文化財保護法は、敷地の保護権限を保護高等委員会に委ねている。高等委員会は、この任務を原則決議に基づいて遂行している。建築物の保護と使用の基準も、第658号の原則決議に明記されている。これによると「第1建築保護エリアではいかなる工事も許可されない。開発計画では同様に保護されるエリアを明記し、研究目的の発掘以外にはいかなる掘削活動も行えない」ということだ。

同じ原則決議には、第3建築保護エリアについても以下のように記されている。「このエリアでは市や県によって工事が許可される前に、関連の博物館の専門家によって掘削調査が行われる。その結果について、文化財が存在した場合は掘削責任者の意見と共に、博物館の責任者が保護委員会へ報告したうえで、委員会の決定を得た後に実行に移される…。」

■世界を動かしていた

トプカプ宮殿は、征服者スルタン・メフメトが1453年にイスタンブルを征服した後の1478年に完成した。マルマラ海、ボスポラス海峡、金角湾の間にある歴史的なイスタンブル半島の端にあるサライブルヌにある東ローマ帝国のアクロポリス周辺の700,000平方メートルのエリアに築かれた。征服者スルタン・メフメト以降、スルタン・アブデュルメジトの時代まで400年にわたって帝国の行政、教育、芸術の中心として使用されていたと同時に、スルタンの住居でもあった。19世紀半ば、スルタン一家がドルマバフチェ宮殿に移り、トプカプ宮殿は放棄された。共和国の建国後、1924年4月3日に博物館とされた。

■歴史的な劇場もあった

よく知られているように、トプカプ宮殿は旧東ローマ帝国のアクロポリスの上に建設された。サライブルヌを臨む斜面に古い劇場があり、幾つかの資料によって段さえもあったということがわかっている。劇場があったと推測されている場所は、新たな決定により、第3建築保護エリアに格下げされている。

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( 翻訳者:神谷亮平 )
( 記事ID:43562 )